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西予市

山内誠一(1884~1973)

 明治17年8月3日、魚成川向山内照治の長男として生る。魚成尋常高等小学校卒業後村役場に入り、明治38年7月書記になり翌39年12月若冠22歳で村収入役に選任され、以来村会議員、助役となり、昭和2年魚成村長に就任4期16年の長きにわたって村政を司る。
 就任以来、前岡田村長(岡田久一郎氏)の二大事業、村有林造成、道路網の拡充、計画を継承してその達成を図り、更に学校を統合して、校舎の大増改築を行い、産業の興隆、文化の進展に日夜熱意を傾け、昭和初期の不況、最も困難な時期にあって積極的に事業を起し、深山池その他の用水施設、土地改良、開田、道路、農業倉庫等を整備し、自作農創設事業を連続実施、農業団体の育成につとめ、経済更生指定村として第1回の指定を受け大いに実績を収めた。その他役場庁舎の新築、電話架設、隔離病舎、火葬場の建築、巡査駐在所の移転新築、国鉄バスの誘致等々その業績は枚挙にいとまがない。昭和10年郡農会長に推され、郡下の農業発展に尽くされた功績も大きい。合併後も教育委員、老人クラブ連合会長として活躍する。
 人格高潔、その良識と決断によって円満解決をみた事件も多く、地区民は山内元老の名をもって愛称し、昭和35年1月には頌徳碑を建ててその徳を顕彰感謝した。
町は、昭和40年12月、名誉町民の称号を贈って遇した。昭和41年4月17日、天皇皇后両陛下御臨席の植樹祭大会会場に於て林業功労者として知事表彰を受ける。
 昭和48年4月6日永眠、90年の生涯を終る。町は準町葬の礼をもって4月9日魚成公民館於て告別式を挙げ、その業績を称えた。(『城川町誌』から)


①山内誠一翁頌徳碑

①山内誠一翁頌徳碑

西予市城川町魚成3644-1(魚成保育所=旧魚成小学校正門付近)