データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

西予市

岡田久一郎

 岡田久一郎翁は明治8年9月3日、魚成村(現西予市城川町魚成)岡田久吾の長男に生る。資性明敏篤実、明治27年以来魚成村役場に職を奉じ書記助役を経て同38年魚成村長に推され、爾来満20年、大正15年に至る此の間の治績、交通、産業、その他自治百搬頗る多き中にも特に顕著なるは、村長就任当初着目し一貫実施したる1,372町の部落有林野を村に統一し、約500町歩の造林を行い、村永遠の基礎を確立したる事なり。当時村民は林業思想幼稚にして実現の至難なりしを、先見の明遠大の志想を堅持して事に当り、一般の理解を得て明治44年村会の決議を経、植林に着手し大正3年施業案完成、村有林野条例を制定、年々計画実行に奮闘す。始業以来四十幾星霜、今や村有林は鬱蒼たる美林連り、先人の偉功輝く緑の薫り彌貴し、恩恵に浴する村民凡て敬仰感謝尽きず茲に碑を建て顕徳を後世に伝う。

 昭和28年3月28日建之 魚成村長 薬師神 志
           同議会議長 久保田芳雄
           外      議員一同  

(『城川町誌 続編』岡田久一郎翁頌徳碑 撰文より)

①岡田久一郎翁頌徳碑

①岡田久一郎翁頌徳碑

西予市城川町魚成3642(旧魚成公民館付近)