データベース『えひめの記憶』
西予市
細川一(1901~1970)
医師。水俣病発見者。明治34(1901)年9月23日、西宇和郡三瓶村津布理(現、西予市三瓶町)で生まれた。宇和島中学校(現、県立宇和島東高等学校)、佐賀高等学校(現、佐賀大学)を経て東京帝国大学(現、東京大学)医学部を卒業した。8年の研究生活後の昭和11(1936)年、日本窒素肥料株式会社(現、チッソ株式会社)に入社、朝鮮半島の阿吾地工場附属病院長を経て、熊本・水俣工場附属病院長になった。昭和16(1941)年、軍医としてビルマに出征。同22年復員し、熊本県南部水俣・芦北の地域医療に力を尽くした。
昭和29(1954)年頃、病因不明神経系疾患に気づき「類例のない疾患」と判断、同31(1956)年保健所に届け、水俣病の発見者となった。その後、汚染源内勤務医という困難な条件で原因を追究し、会社幹部に実験を禁止されるなどしたが、約千匹のネコ実験により、工場排水中のメチル水銀が原因と突き止めた。人命尊重と真実把握の情熱を持って研究を進め、昭和37(1962)年、会社を辞職した。昭和45(1970)年、肺がんで入院中、第一次水俣病裁判の臨床尋問に応じ、当時の実験結果を証言した。昭和45年10月13日、69歳で没した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【追記】
細川一墓所:法華寺(大洲市西大洲、大洲市役所付近)
①生家の敷地に建つ石碑 西予市三瓶町津布理3347(三瓶高校付近) |
②水俣病原点の場所となる百間排水口 熊本県水俣市汐見町1-1-12 |
③百間排水口の説明板 熊本県水俣市汐見町1-1-12 |
④汚染対策のため埋め立てられ公園化された水俣湾 熊本県水俣市 |
⑤水俣市立水俣病資料館 熊本県水俣市明神町53(水俣広域公園西北端) |