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八幡浜市

前田山英五郎(1914~1971)

 大相撲第39代横綱。西宇和郡喜須来村(現、八幡浜市保内町)出身。本名は萩森金松。八幡浜へ一門を連れて巡業に来ていた3代目高砂親方(2代目朝潮太郎)に見込まれて高砂部屋入門、翌年に喜木山(ききやま)の四股名で初土俵を踏んだ。闘志あふれる取り口と強烈な張り手で人気となり順調に出世した。新十両の場所前に再起不能といわれた骨髄炎に罹ったが、慶応病院の前田和三郎博士の献身的な治療で奇跡的に復帰し、これ以降、前田博士への感謝の意を込め四股名を「前田山」と改めた。大関を9年18場所務めた後、戦後初の横綱となる。
 引退後は、第4代高砂浦五郎を襲名し、高砂一門を率いる。大相撲の海外巡業を実現し、外国人力士第1号の高見山を育てるなど、大相撲の国際化に貢献する。幕内成績は、206勝104敗39休、勝率6割6部5厘、優勝1回。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

①第39代横綱 前田山英五郎像Ⅰ

①第39代横綱 前田山英五郎像Ⅰ

八幡浜市保内町喜木(喜須来小学校正門前)

②第39代横綱 前田山英五郎像Ⅱ(台座が土俵の中にある)

②第39代横綱 前田山英五郎像Ⅱ(台座が土俵の中にある)

八幡浜市保内町喜木(喜須来小学校正門前)

③前田山生誕之地碑

③前田山生誕之地碑

八幡浜市保内町喜木(喜須来小学校正門前)

④横綱 前田山記念碑(酒井忠正 書)

④横綱 前田山記念碑(酒井忠正 書)

八幡浜市(愛宕保育所前)