データベース『えひめの記憶』
四国中央市
永隆院〔お作さん〕(1702~1781)
西条藩主松平頼致が八日市で休息したとき、井戸水を差し上げた気品ある作法を見初められ側室となる。御三家の一つ紀州藩主頼方が八代将軍吉宗として就位したことにより空位となった紀州藩の跡目として頼致は6代藩主中納言徳川左京太夫宗直に大出世。宗直は正妻を持たなかったため、お作との間にできた直松を紀州7代藩主宗将とし、お作はお部屋さま(永隆院)となる。ところが、庶民出身のお作はすこしも高ぶることなく、家臣の下々まで気を配り、その人柄は愛されたという。(『土居町50年のあゆみ・できごと』より)
【追記:お作姫の由(一柳公陣屋敷跡に設置された解説板より)】
元禄15年「1702年」津根村八日市にて誕生、正徳4年「1714年」西条藩主松平頼致(よりよし)公が領内見廻り中水屋池に居合わせたお作「13才」に一ぱいの水を要求した。泉よりわき出し冷水を柄杓にて」くみ捧げる。そのときの「しぐさ、行儀、その上器量よし」藩主に大変お気に入られ西条藩に召される。
西条藩主頼致公が宗直と改名され紀州6代徳川宗直城主となり、家嗣される。享保5年「1720年」2月晦日宗将が誕生する。「お作19才」徳川御三家紀州和歌山7代城主徳川宗将の母「お作さん」。語り継がれた今日ふる里に数多くの村おこしの源を送り残され、永隆院とし、母の愛と光を世に広めました。