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久万町誌

4 国民宿舎古岩屋荘と上浮穴郡老人憩の家

 昭和四七年(一九七二)国は農業構造改善事業の一環として、全国二〇○市町村(一府県四か所)に、自然休養村を設定し、新しい観光開発方式(農村資本による農家所得対策のために、自然空間を都市生活者に提供。)を推進することにより、その第一回指定に久万町が選ばれ、自然休養村整備計画の目玉として、町による古岩屋開発と国民宿舎建設、広域圏事業としての上浮穴郡老人憩の家建設構想が具体化していった。
 オイルショックで先行不安な昭和四八年暮、国民宿舎の建設許可が下り、一二月二七日工事請負入札執行。翌四九年一月一一日起工式を行う。老人憩の家は、昭和四九年五月一八日工事請負入札執行。同年七月一〇日起工式を行ってから両工事は並行して進み、同年一二月九日予定通り完成し、同時に落成式を挙行してオープンした。
 国民宿舎古岩屋荘の位置 久万町大字直瀬乙一六三六番地。
 構造・規模 鉄筋コンクリート造り三階建。延二二四九平方㍍。客室三〇(うち洋間三) 宿泊定員一一六人。和室大広間(五六畳)、洋室大会議室、温泉岩風呂大浴場(男女各一、家族風呂一)、レストラン、売店、ゲームコーナー、調理場、事務室、全館冷暖房完備。
 総事業費四億一三二四万円。事業費の財源内訳、国民年金還元融資二億三三〇〇万円、一般財源一億八〇二四万円。
 建物設計管理 松山市の藤原池内設計事務所、工事施工 大阪市の株式会社銭高組(上浮穴郡老人憩の家も同じ業者で施工。)
 上浮穴郡老人憩の家の位置 久万町大字直瀬乙一六三六番地
 構造・規模 鉄筋コンクリート造り二階建て。延べ三六八・七六平方㍍、和室大会議室一、洋室小会議室一、陽だまりの部屋二、トレーニングルーム、保健室、事務室各一
 総事業費五四七七万円。事業費の財源内訳、国庫補助金一〇〇〇万円、県建築補助金二〇〇万円、県設備補助金二五万円、郡内五町村負担金一五〇〇万円。篤志寄付金五一二万円(岡信一五〇〇万円、郡内老人クラブ一二万円)、国民年金還元融資二二四〇万円。
 国民宿舎の運営は当然町単独であるが、上浮穴郡老人憩の家の運営についても、上浮穴郡生活環境事務組合の上浮穴郡老人憩の家の設置及び管理条例により、その管理運営は久万町に委託されているので、国民宿舎と一体で運営してきた。なお、郡生活環境事務組合から年額二五〇万円の管理委託料を町へ、町からは同額を使用負担金として組合へ納入している。
 国民宿舎職員は、一部の臨時雇を除いて当初から地方公務員に格付し、支配人(老人憩の家館長兼務)、事務長、事務員は役場から出向し、調理師以下はいわゆる現地採用として、総貝一八名で発足した。昭和五三年(一九七八)四月一日から高等学校新卒の試験採用職員全員を、一年間応接員として国民宿舎に配置し、全寮制で勤務させることになり、好評を得ている。昭和六三年度までは毎年女子職員ばかり、五名程度の採用であったが、平成元年度(一九八九)は、男子三名、女子二名の採用となり、男子の応接員を置くことになった。
 四国八十八か所巡拝団を始めとする宿泊利用者も年ごとに増加し、経営内容も好調で、昭和六二年度には五一九〇万円をかけて、外装と屋根及び床の大修理を行ったが、町一般会計から五〇〇万円繰り入れただけで、残りは宿舎会計の積立金とりくずしと、当該年度の利益でまかなった。今後の課題は、不足している宴会場の増設であるが、近いうちに着手できる見込みである。