データベース『えひめの記憶』
久万町誌
13 その他
○幼児のころに迷い子になると、へその緒とうぶ毛を持ち、一尺ざしを腰にさしてさがした。さしは、迷い子が男の子であれば左の腰にさし、女の子であれば右の腰にさしたものである。
○子供の病気については、医学の進んでいなかった時代のこととていろいろな漢方薬が使われたらしい。
はしかのときは、その子の目を見て早く発見し、母親のはだでぬくめた。冷やすと内にこもって命とりとされ、枯れるまでぬくめたものである。枯れるとは回復することである。その際、薬としてはさい角散(ないときは牛の角をけずって用いる)を服用させたり、サフラン
を服用させたりした。
百日ぜきはのどへ湿布をし、つるし柿を煎じて服用させた。
ジフテリアは子供の前でその名を言うとうつるとされ、子供に聞こえないように話したものである。また黒大豆を煮出しその煮出し汁を服用させた。
○生後初めて他家へ行ったりしたときは、お祝いとして、男の子は紙・筆・墨をもらったり、女の子は五色の糸をもらったりしたものである。
○人格の尊重としてきびしい躾の中にも子供の人格は厳として尊重されていた。
親ではあっても母親は子供の名を呼びすてにすることは許されず、必ず「さん」づけで呼んだ。食事のときなど男の子の上座に母親が座することは許されないし、寝ている子供の枕がみを通ることも禁じられていた。ましてや寝ている子供をまたぐことなど、もってのほかである。また予供は親の命令には絶対服従であった。