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久万町誌

5 関新平知事

 この四国新道は関新平知事に始まり、藤村・白根両知事を経て勝間田知事の時をもって完成した。まず知事としては関・勝間田両氏をあげねばならぬ。この新道開さくについては関知事の頑固な性格と実行力によって、松方デフレの最も影響強い明治一八年に多くの反対を押し切ってこれを推進されたのである。完成をみず激務に抗し得ないで去られた。全く性格正反対の勝間田知事は本県着任が五七歳の老境にあり二七年宮城県知事に転ずるまで四年余、人格円満な知事として衆望をあつめた。その間、四国新道には随分努力している。土佐街道の完成には関新知事硬骨漢と柔和な勝間田知事の配合宜しきを得たことにあずかって力ありと言わねばならぬ。