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久万町誌

七 霜夜塚と久万の俳人たち

 菅生山大宝寺の観音堂へ上る石段の上り口の右側に霜夜塚が建っている。緑泥片岩の自然石で正面に「芭蕉翁」右側面「松山城下紅魚園志山造立」とあり、背面には「薬のむさらでも霜の枕かな」と彫りこまれている。この芭蕉塚は、翁の句が刻まれているので霜夜塚というのである。
 芭蕉塚は全国各地に多く、愛媛県内にも二四基あるという。
 だが芭熊没後五○年以内に建てられたものは県下では二基だけで、その一つが菅生山大宝寺の霜夜塚であり、今一つは松山市内太山寺のものであるという。
 さてこの霜夜塚は、いつ、だれによって建てられたものであろうか。その由来をさぐってみよう。
 向かって左側に「松山城下で紅魚園志山造立」とある所から、志山の発起によって、当時の久万町民が後援して建てられたのは、霜夜塚が建てられた時にできた「霜夜塚」という書物の序文に明らかである。
  「寛保三年一〇月一二日は芭蕉五〇周忌に当たるから全国到る所で、盛んな追悼の供養か行なわれていることである。自分も俳道に入ってから早三〇年にもなった。さてその身の冥加を思うにつけ、俗の世を棄て俳道に一身を委ねたい気になったので、この日を期して髺を切って僧形となり、僅か二日に足らぬところでも、祖翁(芭蕉)の真似をして行脚の杖を曳き、菅生山の霊場に来た。そうして東西の見える山の麓に一つの石を造立した。前々からの志で、九草庵を導師としたいと思っていたのに、その人の発句も間に合わなかったから、幸い土地の俳諧の友達を集めて、自分がやむなく、文台の脇に据って導師となり、五○回忌の弔いの俳諧を撰して、祖帥に捧げた」
とあるので、この碑は、寛保三年一〇月一三日の芭蕉翁五○回忌に建てられたものであることがわかる。今から二二四年前となる。
 志山がなぜ久万の地を選んだのであろうか、その理由はいろいろあるが、当時の大宝寺の方丈は斉秀和尚であったことに大きな原因があるようである。
 斉秀和尚は、寛保元年(一七四一)に起こった久万山騒動を鎮めた有名な大和尚であり、また斉秀師は非石という俳人でもあったことである。非石を中心とする俳人たちの集いがあったものであろう。
 要するにこの霜夜塚は、松山の俳人志山の発願によって、久万の俳人等の熱意により、大宝寺境内に建てられた芭熊翁思慕の碑である。時に志山四三歳、非石も同年の四三歳であり、町民の代表とも見るべき寿風(佐伯市良兵衛昭恒)は五九歳の時である。
 霜夜塚の位置は今の位置は本来の位置でなくて、今の位置は、昭和七年八月藤井香雨、大宝寺住職今村完道を中心として保存会ができニ七名の有志によって建てられたものである。またこの時裏面の句が薄く消えかかっているので今村完道師によって墨直しがされたのである。
 以前にも芭熊翁百回忌すなわち寛政五年(一七九三)一〇月一二日に小倉志山の孫蘇郎によって行われたことが百斉魚文の句集「俳諧こまさらへ」に誌されているという。
 ア 古俳書「霜夜塚」
 俳書霜夜塚は、芭蕉塚の霜夜塚が建てられた時、供養が行われ句会が催され、その次第を誌した俳書である。
 出版は延享元年(一七四四)京都寺町二条上ル、俳諧書林井筒屋庄兵衛、同宇兵衛重寛方から出版され、半紙一六枚であり、巻頭には「四国遍路四四番札所予州松山領久万山菅生山大宝寺境内」とあって、芭蕉塚を中心とした景色を描いた絵が掲げられ、次に志山の自序があり、追善興行の連句歌仙、霜夜塚にちなむ諸国人および松山久万の人々の句を到着順に八四句誌し、次に志山坊の「久万山逗留之吟」六句が掲げられて、最後に、九草庵の手紙がのこっている。
 この書は県下でも正風の俳書として最も古いものであるし、交通不便な山中からかくも立派な俳書が、しかも早い時代にできたことは、芭熊塚と共に実に驚くべきことである。霜の夜の句を若干ひろってみよう。
    ○もととりかえて霜夜の塚供養   志 山
    ○茶のはなに五十年弔う山路哉   志 山
      鳥もわすれず小春囀る     非 石
    ○客に子はまつ清書を誉られて   得 真
      おろもはしめは玉箒也     互 中
    ○いさきよい浜の月待くれつかた  杜 川
      雁も落来てたたく枝折戸    柳 汀
    ○売れ残る西瓜は只もすてられず  五 友
      風にへかるる閉帳の札     奇 白
    ○山彦の谷が深うて長たらし    可 山
      ろくに出ぬ火の燧佗しき    吟 松
    ○付て来た繩も旅なる草やつれ   遊 告
      とちら枕の納戸見て置     寿 風
    ○御守も貴布禰ときけば冷しく   可 山
      黍の穂先の北に吹るる     志 山
    ○三日月は星にかまはすとうに出て 非 石
      通りのたゆる方に白露     得 真
    ○さつはくに薪をけふらする花の奥 五 友
      ひとつかなけは惣惣の雉子   可 山
    ○永い日をよう降雨につれ出され  可 全
      嚊てもてたる此ころの店    吟 松
    ○二口といや身延様様       志 山
      馬はかはせて去る入相     遊 告
    ○手拭のはしも氷て角角し     寿 風
      先から先へ結かかる髪     得 真
    ○買よせた神酒の旭にほのほのと  可 全
      むしろのあと下る色鳥     五 友
    ○もの種の蔓も次第に秋すかれ   遊 告
      後の月とて屏風もち込     吟 松
    ○すえ直す石に男の雇はるる    寿 松
      祠の公事の年を経て済     可 全
    ○一千時に苫はくり出す朝鳥    互 中
      女の状を頼むいんぎん     寿 風
    ○とこやらにむかし道具のなつかしき 非風
      みやこの有た山のひろひろ   可 山
    ○此塚にさく花守の新法師     志 山
      しつかにわたる春の曙     非 石
       右
        満巻各焼香