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中山町誌

一、 大師信仰

 弘法大師への信仰の篤さは全国的規模であり、霊場四国八十八ヶ所参りや大師講に象徴されている。
 本町では四国八十八ヶ所参りのことを「本四国」「お四国さん」と呼び巡礼に出かける者もあった。
 巡礼に出る動機は、病気恢復や個人的な「願かけ」が多く、現在のような信仰半分観光半分の巡礼とは幾分異っていた。「四国路に遍路の姿に春が来る」に象徴されるように、農家の仕事の都合から三月初めに出発した。中山町で巡礼が最も盛んだったのは、明治期から大正期にかけてであったらしく、昭和一六年頃を境に衰えてきたという。
 巡礼はお大師様を真似たという巡礼姿で、「四国八十八ヶ所巡拝同行二人」と書いた札ばさみを胸に掛け、白装束で出発した。二人とは自分とお大師様であり白装束はどこで死んでもよいとの覚悟を示したという。
 巡礼中はお大師様と行動を共にしているのだから質素で慎み深くすることを旨とし、家族も協力し精進料理で共に祈願したという。
 巡礼は全て徒歩で回るため四〇日以上もかかった。そのために泊る宿があり「遍路宿」「オヘンド宿」などと呼ばれていた。しかし中には本当の巡礼者でなく巡礼を真似た物乞い的な乞食遍路も横行し、「ヘンド」と呼ばれていた。