データベース『えひめの記憶』
中山町誌
八、 永田三島神社
鎮座地 中山町大字出渕門前二番耕地一〇〇番地
祭 神 大山積神・雷神・高おの神
例 祭 一〇月一七日
氏 子 三二〇戸、出渕八部落(東町・門前・栃谷・野中・影之浦・大矢・小池・坪井)
宮 司 阿部 洋
本殿・中殿 明治二五年(一八九二)棟梁山口県大島郡家室西方村門井宗吉及び門井友祐両人により建築される。昭和三二年桧皮葺で屋根改修する。昭和五六年一〇月、本殿を銅板、楼門、中殿の改修改築をする。
拝 殿 明治二七年に棟梁門井宗吉及び門井友祐により建築される。
昭和三二年草葺であったものを瓦葺とする。間口五間、奥行五・五間、二七・五坪
鳥 居 一基 石材 天保一〇年一〇月建立
楼 門 明治一四年大工豊島仙太郎により建築
玉 垣 明治二六年石工河野固市により建立
神名石 明治三六年石工八島福太郎により建立
神 庫 瓦葺、間口二間、奥行二間、四坪
忠霊塔 昭和四五年五月建立。合祀三一一柱の霊が安置され、毎年四月中旬頃町主催による戦没追悼慰霊祭がとり行われる。
由緒沿革
当神社は人皇一六代仁徳天皇の御代一七年巳丑の秋八月二四日に、永田の連を祀るために建てられたと伝えられている。永田の連は九州阿蘇神社より来訪し、伊予国永田の里を作ったという。その後、後朱雀天皇の長暦二年(一〇三八)八月二五日永田社に三島宮を勧請してから、永田森三島と称するようになったと伝えられている。
室町時代に入って、仙波氏が伊福城主になると共に、その尊敬を得て氏神として栄え、元禄六年(一六九三)に建築され、今日の様相を整えるに至ったのである。