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中山町誌

四、 食糧事情

 昭和二〇年になると食糧不足も深刻となり、愛媛県内政部長は昭和二〇年三月、「野草の食糧化並ニ蛋白質脂肪食品ノ自給対策ニ関スル件」を発した。その中で、ヨメナ、ヨモギ、ツワブキ、タンポポ、オオバコ、レンゲ草、ハコベ、ツクシ、イタドリ、ノビル、スギナ、クローバー、セリ、ワラビ、ゼンマイなどを食糧化することや、学校では、コイ、アヒル、ウサギなどを飼育すること、また、イナゴ、タニシなどを蛋白源にするよう指示した。
 こうして、昭和一九、二〇年の戦時下では、国民学校の上級生はしばしば勤労作業に動員されるため、五年生以上は隔週日曜日に登校させ、補充授業を行うよう通達が出された。しかし、これも勤労作業に充てられることが多かった。
 運動場がいも畑に変わり、教室には砂袋・火タタキ・むしろ・水バケツなどが備えられ、学校や地域では近隣の適当なところに防空壕が掘られた。