データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

中山町誌

概要

 近世の封建社会は、明治維新から近代の資本主義社会へと移っていった。
 この資本主義社会の特質は、封建社会にみられた、身分を固定した階級制と領土への束縛から形の上で解放されたことである。
 領地、領民、身分の固定化と各地域へ人間を封鎖されていたことから形の上で解き放されて、欧米先進諸国の文明が輸入されたことと相まって自由民権運動が発展し、さらに政党結成があり、やがては社会主義の台頭をみるといった社会状勢となった。
 行政的には、戸長役場改正と戸長の民選制や府県郡市町村制の実施と議員の民選等があり、江戸時代における幕藩封建制が崩壊していった。
 政治的には、天皇親政の君主専制から、前述したとおり、自由民権運動が推進され、憲法が発布され、これにより立憲君主制が確立し、藩閥政治から官僚政治へと移っていった。
 他方、四民平等と徴兵令の制定、からには義務教育制の実施・教育勅語の発布による軍国思想・国民皆兵思想の普及等によって、富国強兵政策が強力に推進され、日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦へと進んでいく。
 第一次世界大戦後、貿易の不振により日本経済は不景気になった。その影響で、資本主義の矛盾が表れ、労働争議等の社会運動が高まってきた。一方、憲政擁護運動の中、官僚政治から政党政治へと変遷していった。
 やがて、昭和六年(一九三一)満州事変、昭和七年五・一五事件、昭和一一年二・二六事件を経て軍国主義が強まり、昭和一二年日中戦争が勃発し中国への侵略を進めた。昭和一六年には連合国への宣戦布告となり、太平洋戦争へと突入し、昭和二〇年(一九四五)敗戦を迎える。そして、連合軍総司令部(GHQ)の監視の下に社会の各分野にわたって戦後改革が行われ、日本は民主主義国家に生まれ変わることになった。
 その後、サンフランシスコ平和条約締結による独立の回復、高度経済成長を経て、世界有数の経済大国へと成長していった。