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中山町誌

四、 出淵氏と城郭

 この伊福・垣生の両城が、中世の領主出淵氏とかかわりのある城であることはよく知られているところであるが、その実際の関り方については、さまざまな伝承があって必ずしもはっきりしない。たとえば、江戸時代の宝暦一一年(一七六一)頃の成立であろうといわれている大洲藩の名所記「大洲随筆」は、出淵城の項をたてて、浮穴郡出淵村にあって、河野氏五一代対馬守通有五男出淵五郎左衛門尉通員の居城であったこと、通員九世の子孫出雲守盛景の時代に最も栄え、その孫盛政の時に落城して廃城となり、子孫が村の長になったことなどを記している。
 また同書は、盛景の時に曽根氏との合戦があり、その際「牙生」(垣生か)という所に土手を築いて兵を籠城させたと記している。これによると出淵氏には代々出淵城という居城があり、盛景の代に至って曽根氏との戦いに備えて新たに垣生城を築いたことになる。一方、「大洲随筆」よりも少し遅れて寛政一三年(一八〇一)ころまでに成立したとされる大洲藩の地誌「大洲旧記」は、伊福城の項を設けて、出雲守盛景が城主である事、その子盛政、孫盛忠と続き、盛忠の時落城して仙波と名乗るようになったと記しているが、出淵城や垣生城のことについては何ら触れていない。また出淵氏の子孫仙波家に伝えられた系譜は、盛景の五代前の先祖盛絹の時、観応年間(一三五〇~一三五一)に「出淵ノ庄」に居城するようになり、その曾孫盛雅の時田渡城に居住するようになったこと、さらにその孫盛景の時「出淵ノ垣生城」に住することになり、その子盛政の時、河野家より垣生加賀守、佐川備中守などの加勢を得て、新たに「居福城」を築き、盛政の手盛賢の時に落城したことなどを記している。
 以上のような後世の記録・伝承などの記述を盛景を中心にして整理すると次(盛景中心図)のようになる。
 このように後世の記録・伝承はまちまちで、一致するところがないために様々な疑問が生じてくる。まず第一に現在遺構を残していない出淵城、田渡城は本当に存在していたのか、それとも伊福城や垣生城の別称なのか、第二に、遺構を残している伊福城と垣生城はどのような関係にあるのかなどの諸点である。これらについては、確実な史料が見当たらない以上、今の時点では疑問のまま残しておくしかないが、「仙波家系譜」が伊福城の築城について盛政の項に、「河野家ヨリ垣生加賀守、佐川備中守、奉行として加勢の人数来たる」と記しているのが興味深い。垣生加賀守は、戦国末期の河野氏重臣であった垣生盛周に間違いなく、佐川備中守も、しばしば当時の史料中に見える人物で、この記述は当時の河野家臣団の状況によく合っている。あるいは伊福城築城に関しては、後の仙波家に何か記録が残されていたのかもしれない。
 両城の城主出淵氏の人物像についても、前記のような後世の記録や伝承に頼らざるを得ない。人物像が比較的はっきりしているのは、「仙波家系譜」で一二代とされている出雲守盛景である。盛景の事跡としては、菩提寺盛景寺を中興したこと、家臣平岡氏の反乱を鎮圧したこと、内子町城廻の曽根城主曽根氏の侵略を退けたことなどが伝承として残されている。
 そのような中で、出淵氏の姿を伝える数少ない古文書史料が史料2である。これは、仙波家に伝えられた古文書の写しで、原本は伝わらないが、内容的には十分信用に足るものである。
 その内容は、天正三年(一五七五)一一月に河野通直が出淵右衛門大夫に宛てて、神崎郷内の土地を与えたことを示している。文書の発給者である通直は湯築城主で、当時の河野氏の惣領である。通直は、永禄一〇年(一五六七)ころに家督を継承し、はじめは幼名牛福丸を名乗っていたが、天正元年に元服して通直と称した。本文書は、通直の名で出された最初の文書であり、その点でも貴重なものである。
 本文書が出淵氏の歴史にとって重要なのは、神崎郷に所領を与えられていることが示されている点である。神崎郷というのは、伊予郡神崎郷(松前町)のことであろうから、これによって、出淵氏が伊予郡の平野部にまで勢力を広げていることがわかるからである。この出淵右衛門大夫が出淵氏の系譜のどこに位置付けられるかははっきりしないが、強いて前記の「仙波家系譜」の中に位置付けるとすれば、盛景の孫盛忠が「衛門大夫」と称していたとされ、文禄三年(一五九四)に死去したとされているから、最も関係が深そうである。ただ、これには今後十分な研究が必要である。
 ところで、出淵氏が伊福城や垣生城の落城後、仙波氏と名乗り、地元の庄屋となったことは諸書に記されているところであるが、前記「仙波家系譜」は、出淵氏を名乗る以前にも仙波を称していた旨を記している。おそらく事実を伝えているものと思われるが、その中世仙波氏については、地元の伝承以外にもいくつか史料が残されている。

盛景中心図

盛景中心図


史料2 河野通直宛行状 [仙波文書]

史料2 河野通直宛行状 [仙波文書]