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中山町誌

一〇、 中期集落

 松山市における中期の集落についてみれば、石手川と小野川の合流地点から、小野川の源流に至る間の右岸と、石手川が岩渕の瀑布に至る左岸一帯がその中心である。桑原・桑原高井・三町・中村・小坂・立花・麻生・古川・荒神・天山・久米・北久米・来住・鷹ノ子・平井・久米窪田・水泥一帯は、縄文後期から集落が発生し、弥生前中期に飛躍的な発展を遂げ、古墳時代前期には、灌漑用水を考慮した場所を生活拠点とした集落が形成されていた。その一例に福音寺遺跡がある。
 福音寺遺跡は、筋違A・B区、旗立A・B・C区、福音小学校遺跡(竹「館」の下)、さらに星の岡遺跡を合わせれば、竪穴式住居五〇棟・堀立柱建物六〇棟という一大集落であった。この地域に筋違(番外地)や旗立、竹の下などの「保の木」小字名が残され、それはよく代用された集落地の地名を示していた。

図1-7 福音小学校遺跡の古墳時代遺構配置図

図1-7 福音小学校遺跡の古墳時代遺構配置図