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中山町誌

八、 分銅形土製品

 分銅形土製品は、江戸時代から戦前にかけて、よく使用された竿秤の「おもり」の形に似ているので、分銅形土器と称されるが、土器の表面に顔が描かれているため人面形土製品ともいう。この土製品は瀬戸内海沿岸の凹線文土器や平形銅剣の分布する地域から四一面の発見があり、中でも、平形銅剣を多出する松山市の城北地区に集中している。松山市で発見された二五面の土製品の内、完形品は二個で、残る二三面は破損品である。人面を形どる耳の下部位置に貫通する穴があり、この穴に紐を通し、吊り下げたものと推察される。図中の完形品をみれば、上部の顔面に対して下部が欠落しているものが多い。文京Ⅱ遺跡では竪穴住居内で出土した遺物である。またその他の出土状況をみても、集団的な祭器用具ではなく、土着性の強い小集団で用いられた厄除け用の祭祀器物と考えられる。
 銅鐸は、豊作を約束する神を呼び招くために鳴らし、豊作を妨害する悪霊・害獣を追い払うために銅剣を、家内の厄除けに分銅形土器が使用されたのではないかと考えられる。

図1-5 分銅形土製品

図1-5 分銅形土製品