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伊予市誌

2 都市公園事業

 市民の健全なスポーツ・レクリエーションやいこいの場として公園整備を図るため、一九五九(昭和三四)年に五色浜に二ヘクタールの五色浜公園を計画決定し整備に着手した。その後同三八年、同三九年に計画面積を拡大し、現在の三・七ヘクタールとなった。整備は一九七〇(昭和四五)年まで続けられ、野球場・児童遊園・プールなどの施設を完備し、一九七一(昭和四六)年開園された。
 引き続き同年に谷上山公園の整備計画を立て、五七・四ヘクタールの計画決定を得て広域公園を目指し、園路工事から整備に着手した。一九八〇(昭和五五)年までに園路整備、第一・第二展望台、多目的広場、植樹園、駐車場などを完備し、ほぼ完成を見たので一九八一(昭和五六)年三四・二ヘクタールを開園した。
 また、児童の遊び場の確保、地域のコミュニティの醸成に資するため、一九八〇(昭和五五)年本郡地区に本郡塩田児童公園(○・三一ヘクタール)を計画決定、同年事業着手をし、自由広場・遊戯施設・修景施設・便益施設などを完備し一九八一(昭和五六)年に開園された。
 一九八四(昭和五九)年には、下吾川南西原地区に南新川児童公園(〇・一九ヘクタール)を計画決定し、一九八五(昭和六〇)年、遊戯施設・便益施設・修景施設整備を行い、一九八六(昭和六一)年に開園された。
 つづいて、一九九二(平成四)年尾崎古茂池埋立地に古茂池児童公園(〇・一二ヘクタール)を都市計画決定し、同年天神川との親水性を考慮した児童公園として整備を行い、一九九三(平成五)年に開園した。
 近年の生活様式の多様化により、本格的・総合的なスポーツ、レクリエーション施設として、市民はもとより他の地域の人々が利用できる総合公園の整備要望が高まり、森浜地域を一九八九(平成元)年都市計画決定し、一九九〇(平成二)年より伊予総合公園(しおさい公園)として施工を開始した。
 この総合公園は、野球場・体育館・テニス場・多目的広場などの体育施設と芝生広場・親水広場・わくわく子供王国などのレクリエーション施設から構成されており、運動・休養・散歩などが行える公園であり、市民競技場の整備により二〇〇四(平成一六)年七月全施設の供用を開始した。開園面積は一三・三ヘクタールである。