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伊予市誌

4 戦争犠牲者の援護

 遺族の援護
 戦没者遺族の援護は数次の法律改正によって援護範囲の拡大、受給条件の緩和、支払金額の増加など、逐次施策の充実強化が図られてきた。本市においては福祉事務所がこれら関係者の窓口となって各種の相談に応じるとともに、これらの手続きについての事務に当たっている。
 終戦当時までは軍人や文官が公務上傷病のため障害をのこすか若しくは死亡した場合には本人又はその遺族に対して恩給法による傷病恩給又は公務扶助料が支給されてきた。一九四六(昭和二一)年二月一日「恩給法の特例に関する件」(昭和二一年勅令第六八号)によって、いわゆる軍人恩給は停止となった。しかしながら、一九五一(昭和二六)年には講和条約の内容が論議され、独立後の我が国のあり方が深刻な問題としてとりあげられるに伴い、戦没者遺族等に対する処遇問題も論議が重ねられた。一九五二(昭和二七)年四月一日、戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和二七年法律第一二七号)が施行された。その後、一九五三(昭和二八)年には恩給法の一部を改正する法律(昭和二八年法律第一五五号)が施行されて軍人恩給が復活した。
 一九六三(昭和三八)年四月一日、戦没者の遺族に対して国として弔慰の意を表するため、戦没者等の妻に対する特別給付金支給法(昭和三八年法律第六一号)が施行され、一九六五(昭和四〇)年六月一日、戦没者等の遺族に対する特別弔慰金支給法(昭和四〇年法律第一〇〇号)が施行、四月一日から適用され、一九六七(昭和四二)年七月一四日、戦没者の父母等に対する特別給付金支給法(昭和四二年法律第五七号)が施行、四月一日から適用された。
 また、戦傷病者等の妻に対しても国として、特別な弔籍をすることが望ましいと考え、一九六六(昭和四一)年七月一日、戦傷病者等の妻に対する特別給付金支給法(昭和四一年法律第一〇九号)が施行、同年四月一日から適用された。
 その後、数次の法律改正により、現在に至っている。

 平和祈念式典
 伊予市では、二〇〇〇(平成一二)年から西南の役以降第二次世界大戦までの戦没者及び消防・警察など公務殉職者の方々九七八柱に対し哀悼の意を表し、恒久平和を祈念するため、「伊予市平和祈念式典」を開催している。
 式典は、市民会館大ホールに祭壇を設け、厳粛な中、遺族や関係者、児童・生徒六〇〇人余の参列のもと、我が郷土伊予市の発展の陰にあって祖国の平和と繁栄の礎となった戦没者や市民の安全確保のため殉職した方々の遺徳を偲び、二度と不幸な歴史や悲しみをくり返すことのないよう恒久平和と安全で幸せな市民生活の確立に一層の努力をすることを誓い、一人ひとりが祭壇に献花し執り行われている。