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愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)

三 特産物

 租庸調と交易雑物

 大化改新後の律令制度のもとでは、租税は租、庸、調、雑徭を基本税とした。租は田租で口分田に課せられ稲で徴収、調は穀物以外の生産物で男丁に課せられた。庸・雑徭は労力の提供であった。調庸は九―一〇世紀の間に公民の減少、調庸物の粗悪化、徴税能力の減退により租制にくらべて早く崩壊した。このような過程の中で品質のよい物資を徴収するために制度化されたものの一つが交易雑物である。交易雑物は本来、本人が産物で納入すべきものを国司が正税(稲穀)で買い集めて、政府に貢進した物資である。
 延喜式にみられる、交易雑物として上納するものに次のようなものがある。
 皮類 鹿革五〇枚、鹿皮一〇張  石類 砥八〇顆
 雑穀類 大豆一八石 醤大豆三石 胡麻子五石
 器物 苫五〇枚 樽二合
 海産物 海藻根一〇斤、那乃利曽一五〇斤
 このうち、ここでは考古学的な立場から推測が可能な砥石を中心に述べておきたい。

 伊予砥

 伊予産出の砥はとくに名をつけて伊予砥といって珍重されていた。伊予砥は淡白淡赤で模様があり美しいものである。奈良時代には金銅仏像の料物として使用されていた(正倉院文書)。この粗面岩質安山岩は、現在は伊予郡広田村が主産地となっている。奈良時代の久米窪田Ⅱ遺跡(松山市)からこの伊予砥と思われる砥石が数点出土しており注目される。なお、ほかに伊予の特産物として筆、檳榔子(びろう)、斐紙麻などがあった(延喜式)。
 斐紙麻は斐と紙麻の二種類の製紙原料である。斐は雁皮紙、紙麻は楮のことである。天暦四年(九五〇)の東大寺封戸庄園并寺用(正倉院文書)によれば喜多郡、温泉郡、風早郡などの封戸二百戸が紙五、四四〇張を東大寺に納入している。東大寺に納入しているのは伊予の封戸のみである。現在でも伊予は全国有数の手すき和紙産地であり、その源流が古代にまでさかのぼるとしてもあながち否定できない伝統をもっているように思われる。なお、古代浮穴郡の「伊予簾」は源氏物語、枕草子などにみえている。