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愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)(昭和63年2月29日発行)

三 宇摩平野山麓の果樹

 土居町の果樹分布と天満のみかん

 東赤石山(一七○七m)に源を発する関川は、二ツ岳(一六四七平方m)を源とする浦山川と合流して燧灘に注ぐ、河川延長一〇・二㎞の河川で、流域に三〇〇○haにわたる宇摩平野を形成する。関の原乍頂点に、北東にV字型に開けた山麓の扇状地と、自然堤防に帯状に果樹園が分布し、その上限は大体海抜一〇〇mの等高線と一致する(図5-6)。
 宇摩・新居地方は工業都市の近郊地域で、若手労働者が工場勤めに関心が強く、自然条件もみかん適地が少ないので発達がおくれた。石鎚断層崖は急傾斜の北向斜面で、ヤマジ風の影響もあって適地は限られている。大正四年(一九一五)の統計(表5-9)では、天満村(現土居町)に一五haの温州みかん園が開かれ、それに次ぐのが川滝村(現川之江市)の九ha・関川村(現土居町)の三haが主なものであった。昭和二六年の統計では、天満村(現土居町)三〇ha、関川村一二・九ha、その他では川滝村が三二・五haの集団的産地を形成していた。
 柑橘類、特に温州みかんの栽培面積がふえてくるのは、昭和三五年以降のみかんブームによる政策的拡大によるもので、同五〇年まで増加した。その後、みかんの不況から転換促進事業がすすみ減少傾向に転じて、同四七年の三二五haを最高に、五八年には二八五haに減った。一一年間で四○ha一二・三%の減少率である(図5-7)。品種の構成は温州みかんが七六・八%、夏柑が一五%という温州みかんの単一栽培地域である(図5-8)(表5-10)。
 表5-11の樹齢構成をみると、樹齢五〇年以上の老木園が川之江市一六ha・土居町一五haに対し伊予三島市は八haで半分にすぎない。この樹齢構成からこの地域における栽培の先進地がわかる。村上節太郎によると、天満のみかんは明治三六年(一九〇三)資産家岸茂市が栽植したのが始めである。しかし、彼は管理を雇用人任せで栽培したため、病中害にやられ失敗した。ついで、寺尾百太郎・山中源太郎・塩見丈夫らが磯浦に二haを栽植した。曽根常治が帰還して、西ノ江に六〇アールの園を開いたのは明治四二年(一九〇九)の秋である。苗木は関川村北野の苗木商より購人した。六〇アールの苗木三二〇本は、一本が八銭五厘であった。次には香川県の鬼無から、大玉種の温州苗木を導入した。大正六年(一九一七)の栽培面積は約二〇haに達し、生産者は一〇名に増えた。大正九年(一九二〇)には、鉄道便によって関西市場へ箱詰めによる出荷をした。昭和七年には、柑橘出荷組合が設立され、組合員は三五名であった。
 大正時代には、天満村長の山中喜四夫が植え、昭和一〇年ころに三〇haも開いたのは、救農土木工事費による。天満村で専業経営は曽根常治他六名で、副業栽培は三五名であった。曽根常治はぶどうも八〇アールを埋め立て地に植え多角的に経営し、自ら北宇和郡立間村(現吉田町)の薬師寺宅を訪ね、先進地の技術を研究して導人した先覚者である。(写真5-6)。
 天満みかんは、和泉砂岩系の丘陵地の東南北の傾斜地に栽培されている。早熟性で一〇月上旬に出荷でき、一一月には全部収穫するほどの早期出荷が特色であった。販路は小産地のため地方市場が中心である。早くから池の水をひいて灌水したり、養鶏と組み合わせた近代経営法が導入されている。

 川之江市の果樹栽培と川滝みかん

 川之江市のみかん栽培の歴史は古いが、栽培面積が増加したのは昭和三五年以降で、三三年には一五八haが三五年二四一ha、最高に達したのは四七年の四七〇haである。その後は、みかん価格の暴落と低迷で五八年には三八四ha、一一年間で八五ha(一八・〇%)減少した(図5-9)。中晩柑類は微増傾向にあるが、品種構成では圧倒的に温州みかんに偏重している(表5-12)。
 川滝村は、昭和一〇年にネーブルオレンジ一三ha、温州二〇ha、批杷四ha、柿一〇haという多角的果樹栽培の村であった。温州みかんの品質は中南予に劣るがネーブルの品質は上等であった。川滝の柑橘栽培は、明治三四年(一九〇一)資産家紀伊義玲か和歌山県から苗木商人を招き、また技術者を自費で招いて柑橘を奨励したことに始まる。川滝村大字下山字佐釜甲一三八八番地に、温州四〇〇本、旭柑二〇〇本、ネーブル三〇〇本を初めて栽培した。土地のよいところにはネーブルオレンジを、海抜高度の高いところには温州みかんを植えた。柑橘類は池田街道の東西の谷を次第に東に栽植し、ついに徳島県境の境目までおよんでいる(写真5-7)。
 ネーブルの最盛期の大正末から昭和初期には、川滝村の栽培戸数五〇戸、栽培面積二〇haに達したが、戦争で衰えた。昭和二六年には三島一〇・四ha、川滝五・五haであった。今は温州みかんの単一栽培で中晩柑類は少ない。同五八年川之江市全体で夏柑一二ha、ネーブル六ha、八朔六ha、伊予柑六haである。






図5-6 宇摩平野山麓(土居町)の果樹園の分布

図5-6 宇摩平野山麓(土居町)の果樹園の分布


表5-9 宇摩地方の大正4年の温州みかんとなし

表5-9 宇摩地方の大正4年の温州みかんとなし


図5-7 土居町の柑橘類の栽培面積の推移

図5-7 土居町の柑橘類の栽培面積の推移


図5-8 東予地方(周桑以東)の果樹栽培面積の品種別構成

図5-8 東予地方(周桑以東)の果樹栽培面積の品種別構成


表5-10 土居町の果樹の品種別栽培面積と収穫量の推移

表5-10 土居町の果樹の品種別栽培面積と収穫量の推移


表5-11 宇摩平野の市町村別主要果樹の樹齢別栽培面積

表5-11 宇摩平野の市町村別主要果樹の樹齢別栽培面積


図5-9 川之江市の柑橘類の栽培面積の推移

図5-9 川之江市の柑橘類の栽培面積の推移


表5-12 川之江市の果樹の品種別栽培面積と収穫量の推移

表5-12 川之江市の果樹の品種別栽培面積と収穫量の推移