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身近な「地域のたからもの」発見-県民のための地域学入門-(平成22年度)

15 えひめの年中行事・芸能-北条鹿島神社の秋祭り-

 松山(まつやま)市北条(ほうじょう)地区の櫂(かい)練(ね)りは、鹿(か)島(しま)にある鹿島神社の春・秋の祭り(4月15日、10月12日)に神(み)輿(こし)渡(と)御(ぎょ)の先(せん)供(く)として催される勇壮な行事である。神輿を先供する船は櫂(かい)伝馬(でんま)と呼ばれ、伝馬船を2隻横につなぎ合わせたもので、船上で櫂練り踊りを披露しながら、御(み)船(ふね)(神輿を乗せる船)を引くような形で海上をゆったりと進んでいく。昭和41年(1966年)に県の無形文化財の指定を受け、昭和52年(1977年)に無形民俗文化財に指定替えされている。『愛媛の祭り』の中で、櫂練り保存会事務局の**さん(昭和31年生まれ)は、次のように語っている。
 「御船を先導する船は、船の両舷(りょうげん)(左右の船べり)から櫂を出していて、昔から一般には櫂伝馬と呼びますが、今は櫂練り船とか踊り船などともいわれています。今は先頭にエンジンを付けた引き船があって、その船に綱で引かれて、2隻を横につないだ櫂練り船が行きます。その次に、神輿を乗せた御船2隻が縦に1隻ずつつながって行くのです。これが一つの船団です。つながれているのは5隻ですが、先頭は櫂練り船や御船を引くための船ですから、本来は4隻が櫂練りの一団です。その後に宮(ぐう)司(じ)らが乗った船が付いて行きますが、これはつながっていません。そのほかにも大(たい)漁(りょう)旗(き)をなびかせた何隻もの見物の船がお供に付いてきます。見所としては、満艦飾(まんかんしょく)に飾り立てた櫂伝馬の船上での、鐘(北条では火の見櫓(やぐら)につり下げていた半鐘のような鐘を使う)と太鼓に合わせたボンデンや剣櫂の踊りと神輿を乗せた御船を転覆させんばかりに揺らし続ける海上練りなんです。この両方が一体となって見せ場となるのです。」
 「春は、昼前の宮出し、午後3時過ぎの宮入りです。鹿島で宮出し後の神事を行い、神輿を御船に乗せ、櫂練り船の先導によって鹿島と市街地との間、約400mの海上を、大きく3回左回りをして北条の内港に入ってくるんです。観客が内港を取り巻いています。その前を何周か櫂練り踊りと御船の揺さぶりを披露した後、内港を出て、さらに海上でゆったりと櫂練り船に先導されながら鹿島神社への宮入りになるんです。その間、神輿は一度も陸上には上がりません。いわば観客に見せるための櫂練りになっています。」
 また、鹿島神社の宮総代を長く続けてきた**さん(大正9年生まれ)は、次のように語っている。
 「この鹿島神社のお祭りは、本来は秋の祭りなのです。戦前の春祭りは鹿島内での神事くらいでした。戦後間もなくと思うが、春にも櫂練りを出そうということで始めました。今は春の櫂練りが主になってしまったのですよ。というのは、春は昼間だけの行事で、観光客が集まり、港の周辺で歓声をあげて見てくれます。そういうお客さんたちの中で、櫂練りをする方も、港の中で1回でも多く回って、皆さんに見せてあげようというショー的なものになってきたんです。北条の秋祭りは、10月9日が宵(よい)祭りで、10、11日が国(くに)津(つ)彦(ひこの)命(みこと)神社の祭り、12日が鹿島神社の祭りです。」
 「昔は宮入りの時には送り火・迎え火をたいていました。年寄りが主でしたが、『鹿島様のお帰りだ。送り火をたこう。』と言うて浜へ出て行くと隣も隣もと、浜辺に近い者は、すくず(松葉の落ちたもの)を持って出てくるのです。そうすると、すでに浜へ出て見送っていた者も寄ってきて、送り火をたいて皆がこぞってお送りしていました。鹿島のすくずをかいて(かき集めて)きて、木小屋などに納めておいて、それをたいたんです。夕日が西に落ちて夕やみが迫るころ、先導する2隻の櫂練り船と2体の神輿を乗せた御船2隻が、静かに鹿島へ帰っていきます。9日に鹿島を出られて12日に還御(かんぎょ)(神輿がお宮に帰られる)されるのです。その間は、神様は皆とともに町においでになった。その神様をお見送りする。そんな思いで送り火をたきながら手を合わすんです。鹿島の方でも鳥居の前で迎え火をたいてくれるんです。夕やみの中で送り迎えるたき火が静かに波に揺らいでいきます。そうした光景は、敬けんでしみじみとした、何とも言えない思いを抱かせてくれました。」