データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

身近な「地域のたからもの」発見-県民のための地域学入門-(平成22年度)

13 えひめの伝承-南予のカッパ伝説-

 愛媛県ではカッパ(河童)のことを、エンコ・エンコウ・オソなどの方言で呼んでいる。また、動作が敏(びん)しょうで、どこかカワウソに似ているので、カッパはカワウソではないかともいわれている。『宇和海と生活文化』では、三(み)瓶(かめ)・明(あけ)浜(はま)(現西(せい)予(よ)市)のカッパ、三(み)崎(さき)(現伊(い)方(かた)町)のカワウソの話を紹介している。
 
 (1)エンコの恩返し
 
 三瓶町の**さん(昭和2年生まれ)は、次のように語っている。
 「昔、三瓶町の朝立(あさだつ)川は、向山(むこうやま)の根を通って流れていたそうです。そのころの話です。夜更(よふ)けに、土手の道を、馬を引いて馬方さんが歩いていました。馬方さんは、おやっと立ち止まりました。
 夜更けに、一人の女の人が流れのところで何かしているのです。じっと見ていると、水藻を、ひょいと頭にのせますと、きれいな島田になりました。また、ひょいと水藻を肩にのせますと、きれいな着物になるのでした。みるみるきれいな着物姿の娘さんになったのです。
 そこで、その娘さんに声をかけまして、『娘さん、わしは安(あ)土(づち)へ帰るがやが、あんたはどこへ行きなはるがぞな。』といいますと、『わたしも安土の伯母(おば)のところへ行きます。』といいました。『ちょうどええけん、この馬にのんなはい。』といいまして、馬に乗せたそうです。そうして『この馬はときどきあばれるけん、落ちたらいけんけん。』といいまして、娘さんを綱でぐるぐる巻きにしました。
 家に帰ると大きな声で、『エンコをつかまえたぞ、はよう明かりを持ってこい。』といいました。がんがらまきのその娘さんを、いろいろ責めたてましたが、『わたしはエンコではありません。』といって、エンコにはならなかったそうです。馬方さんも酒を飲んでいたので、気のせいかなと思いまして『娘さん、すまんことをしましたな。酒を飲んじょりましたけん、こらえてやんなはいや。』といって綱をほどきました。
 次の朝のことです。馬方さんの玄関に、魚が何匹か引っ掛けてありました。それからは毎朝、毎朝、魚が掛けてあるものですから『だれかな』と思って、ある日じっと待っておりますと、一匹のエンコが魚を持って来るのを見たのです。やっぱり、あれはエンコやったがやな、と思いました。
 ところが、毎朝魚を掛けてくれる、玄関の古いくぎが小さいので、鹿の角でかぎをつるしました。そうしたらその日から、ぴしゃりと魚を持ってこないようになったそうです。このことから、エンコに引っ張られないようにするには、鹿の角がよいということがわかったのです。
 昔、牛や馬が沢山いた頃は、手綱や頭に、鹿の角の一部を必ずつけていました。また、子供も水泳するとき、鹿の角のついた首輪をしている人がありました。」
 
 (2)オソゴエと伝説
 
 三崎の**さん(昭和5年生まれ)は、次のように語っている。
 「佐(さ)田(だ)岬(みさき)半島突端部に、オソゴエと呼ばれる地名があります。昔、オソ(カワウソ)はえさを求めて上(うわ)手(て)(瀬戸内海側)と、下(した)手(て)(宇和海側)の間を移動しながら生息していたようです。突端部は潮流が速く、泳ぐことが得意な彼らでも渡ることが困難であったのでしょう。突端部より1km程手前の低地(標高10m以下)をオソが越えていたので、いつの間にかオソゴエと呼ぶようになったと思います。」
 **さんは三崎の正野(しょうの)の人が、小船で雨の中を一人で釣りをしていて、オソに化(ば)かされ、オソと相撲(すもう)を取っていた……とか、串(くし)に住む人が畑仕事から帰る途中、見知らぬ女の人から酒を勧められ、酔って帰り気がついてみると、衣服は脱ぎ捨てて素裸だった……とか、カワウソにまつわる伝承を話してくれた。

 (3)カッパの狛(こま)犬
 
 明浜町高山(たかやま)の若宮神社に、一(いっ)対(つい)のカッパの狛犬がある。向かって左側のカッパは右手に大きなタイを抱えている。土地の人達はエンコ様と呼び親しんでいる。
 祭神は高山城主になった宇都宮修理(しゅうり)太(だい)夫(ぶ)正綱で、村人を大事にした人物だと伝えられている。『明浜町誌』によれば、この正綱公にまつわるカッパの恩返しの伝説から具象化された狛犬であるといわれている。