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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇昔の小田川

 私が生まれた時代は、水遊びといえばプールのような人工的なものはなく、自然の池・川・海でした。私が子供のころに親しんだ池は、今も平野地区にある上池(かみいけ)で、メガネ池とも呼ばれていました。私たちはこの上池で一日中遊び、親でも先生でもない近所のお兄さんたちから水の怖さ、楽しさを手取り足取り教えてもらい、時には本当に怖い思いもしましたが、泳げるようになるまでいろいろと面倒を見てもらいました。また、水と遊ぶ以外にもいろいろなことを教わりました。
 私の幼いころは、上池で泳ぎを習い、少し上手に泳げるようになると、「りゅうぐんの住吉さん」(龍宮堰(りゅうぐうぜき)の下流にある住吉神社のあたり)の比較的危険の少ない所で遊び、上手に泳げるようになると、深みのある大岩(龍宮堰の100m上流にある珪岩(けいがん)の巨礫(きょれき))付近で遊ぶことができたのです。
 私たちの少年時代といえば、戦中戦後の食糧難の時代だったので、「水で遊ぶ」といっても延縄(はえなわ)・じんどう・餌付け・四つ手網等のいろいろな漁をしながら遊んだものでした。
 毎年6月の田休みからアユ漁が解禁になりますので、龍宮堰の漁業権を持つ人たちが全員「よけ」にあるお庵(あん)様に集まり、1年間の堰番を決めました。
 五十崎町では、雨が降らなくても奥の大瀬(おおせ)(内子町)や小田(小田町)で雨が降っていれば川の水は豊富で、昔の龍宮堰には30個以上の四つ手網が並び、花が咲いたようにきれいで壮観でした。毎年9月になれば大洲の五郎へ「落ちアユ」をとりにいったものでした。
 海といえば、長浜町に水族館があり、いろいろな魚が泳いでいました。海水浴は、沖浦(長浜町)に行き、そこで投げ釣り・船釣り等をした楽しい思い出がたくさんあります。
 昔の小田川は大変きれいで、私たちはくぼみに入ったといって水を飲んだり、石についたコケに足をとられ滑って転び水を飲んでも平気でした。母なる小田川はみんなの「生けす」のようなものだったのです。
 小田川の水は、四国カルストに吹き付けた雨水が石灰岩層を伏流した弱アルカリ性の動植物に適した良い水です。分かりやすくいえば、五十崎町内の河川の源流は、多くが石灰岩洞窟からわきだしており、「清水」とか「大清水」とか呼ばれている所がそういった場所で、この水は大変おいしいのです。私は、小田川の水は表面水であれ、地下水であれ日本一おいしい水だと思っています。