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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇石垣を見直そう

 今は、松山で生活している小学校時代の友人が、「あっちゃん、川内のあの石垣がないようになってしまいよる。あれは残してや。ふるさとがなくなる。」と私に言うのです。石垣というのは、大宮神社付近の石垣のことです。私は、「よっしゃ、任しとき」と言いたかったのですが、「え、残っていると思っていたけど。」とあいまいな返事しかできませんでした。
 恥ずかしながら、私は、子供の時から毎日石垣を見ながら歩いて学校へ通いましたが、おしろい花がきれいに咲く石垣としかとらえていなかったのです。私にとって石垣は、空気のような、ごく当たり前の存在だったのです。友人に言われたので、自転車を止めて眺めてみますと、やっぱりすごいのです。お城の石垣のそりの美しさをさんざんほめてきた私でしたが、すぐ近くの川内のこの石垣に、お城以上の趣を感じました。川の水があり、風情があります。ただ真っすぐの石積みだけでなく、折れて石垣があるところなどは、胸にぐっとくるものがあります。
 ある日のこと、お年寄りの人が、長い竹ざおに鎌をつけて、この高い石垣の上から腹ばいになり、手を伸ばして、雑草を刈り取っているのを見掛けました。石垣を残すと一口に言いましても、このような御苦労があればこそだと目頭が熱くなりました。
 この話をしますと、町史に詳しい先輩が、「井内にも、問屋(とんや)にも、素晴らしい石垣がある。」と言って、連れて行ってくださいました。
 井内にある石垣も長く続いたりっぱなものです(私がそばに立っておりますので、石の大きさを比較して見てください。)。この石垣は、中世、鎌倉時代のもののようです。今のように道具のないころですので、大きな岩盤の上に開墾して掘り出した木の根っこをたくさん積み、火をつけて燃やして、燃え終わるころに、竹のといから水を引き、一気に水を落とします。すると岩盤にひび割れができます。それを玄翁(げんのう)で叩いて岩盤を割り、その石で積み上げる手法の石垣らしいと教えてくださいました。したがって、大きさや割れ口がいろいろで、それだけに趣があり、格別なのです。
 次は問屋の石垣です。上流から流れてきた石を拾い積み上げたのか、石に丸みが見られるように思います。実際はもっと左右に、この石積みが伸びて、なんともいえない風情があり、いつまでも見ていたいようでした。