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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇祭典賑(さいてんふり)余興としての太鼓台

 昔、旧下島山村の飯積神社では、本余興と称しまして、素人相撲や湯茶の接待や出店などが出て、にぎわっていたようであります。
 明治時代の初めころから、秋の実りである稲の収穫を祝う太鼓台が余興の中に加わったようです。そこで太鼓台のことを少し説明いたしますと、太鼓台の天幕は空を表しており、黒い枕は雲を表しており、揺れている房(ふさ)は雨を表しており、括(くくり)という四角い円錐のようになっている所に神様が天からお下りになると考えられております。幕は全て金糸銀糸で出来上がっています。また、神様が宿ってくるという括のところにかける飾り幕には、昇り竜と降り竜がかかっております。まさに竜神様をお祭りしているという形になっておりまして、中央の中幕は、この世の中に存在しないような動物を飾っております。一番下の枠は、布団締と言い、神社仏閣とか、御殿を飾っております。こういうものを飾りとして、太鼓台は、神様を中心とした稲作に欠くことのできない物語を描いているのです。
 明治44年(1911年)12月12日付けで、この祭りの様子を新居郡の郡長に報告している文章がありますので、一部を紹介いたしますと、「太鼓台は8台あって、旧国道を運行し、本神楽は渦井川、室川、八幡神社、飯積神社にて、賑余興と称してかき比べ、寄せがきが恒例となっており、その様子は太鼓台の美を競い合い、神様を慰め、その光景は実に壮観にして、幾万の群衆を、思わず絶快させた。」と、報告いたしております。当時の生活は、働くことだけで、娯楽の少ない時代であり、祭りこそ、ただ一つの楽しみであり、喜びであったと思います。