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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇太鼓台平和運行への取り組みと今後の課題

 明治時代の後半のころに、半田村と大谷村の太鼓台のかき比べの最中に見物客より興奮のあまり石が思わず投げられたのです。これによって、両太鼓台は、飛んだ石で、太鼓台そのものが見えないほどの大喧嘩となり、人間の目玉が飛びぬけ、頭が割れて血まみれになったり、見物客の中にも卒倒する人が多く出たそうです。そのため、大谷、半田村共に太鼓台を手放すこととなり、それ以来、昭和50年(1975年)まで6台の太鼓台で運行をしていくことになったのです。
 その間「飯積神社のお祭りは石投げ祭りだ。石投げ太鼓台。」と称されるようになったのです。そこで、なんとかして平和で喧嘩のないお祭りをしようということで、昭和25年(1950年)に飯積神社太鼓台運営委員会が設立され、毎年平和祭典が協議され、警察や市役所や多くの先生方からの御指導をいただいて努力をしたのですが、戦後のすさんだ世相を反映するがごとく、石投げ祭りは続いていきました。昭和36年(1961年)には西条市長より、今年は平和祭典ができたということで、運営委員会に表彰状をいただいたのですが、その後も、また石投げ祭りは続きました。しかし、各太鼓台総代や運営委員会の努力により昭和40年以降は今日まで、喧嘩というものが全くなくなりまして、現在のような文字通りの平和祭典となったのです。
 平和祭典への努力が続けられる一方で、日本の経済がどんどんと発展をし、西条市の人口も増加する中、さらに祭りに対する西条人気質も手伝って、次々と太鼓台が新調され、今では10台の太鼓台が、明治44年以前のけんらん豪華な様相を呈することになりました。そして、「日本の祭り」や、「伊勢神宮の祭り」にも参加させていただいて好評を博したのです。
 そのようなことで、かき比べ、寄せがきの太鼓台を自画自賛する私たち飯積神社太鼓台運営委員会としましては、今日のような交通事情や祭りにおける人の混雑からしましても、いつ喧嘩が起こったり、事故が起こるかも分からない状況でありますので、現状を把握、分析しながら、平和祭典を永続していくために会合を重ねているのです。
 その中で、今後の課題としては、まず第一に、太鼓台の安全運行があげられます。具体的には、今日の交通事情と御神輿について行くという太鼓台自身の古来からの運行経路を、多くの方に御理解いただいて、今日的な経路にもっていくことを検討しています。
 第二には、葛城宮司が常に話しております、「神人和楽」をどう考えるかということです。太鼓台のだいご味は、なんといってもかき比べや、本神楽所の寄せがきでありますので、それを、いつどのようにつくるかが大切になってきます。そのためには、太鼓台が、寄せがきをした時に、かき棒と横棒がきちんと合っていなければいけないだろうといったようなことを考えて、どういうように管理監督するかを検討しています。
 第三には、喧嘩をいかに防ぐかということです。飯積神社の太鼓台も、かつては「石投げ太鼓台」というような汚名をいただいておりましたが、本来、飯積神社のお祭りは、神様を中心としたおごそかな祭りのタイプであり、太鼓台をかくリズムもゆったりとしています。このリズムといいますのは、太鼓のリズムのことでして、「ドーン、ドーン、ドンデンドン、ドンデンドン、ドーン、ドーン、ドンデンドン、ドンデンドン」なのです。つまり、「ドーン、ドーン」の時に、肩を入れて腰を入れて、「ドンデンドン」でゆりながら歩いて行くというように、長い時間に渡ってもかつげるようなもので、新居浜の太鼓台のリズムの「ドンデンドン、ドンデンドン」と少し異なるのです。こういうことを考えに入れて、各太鼓台とも協力し、互いに協調していく必要があると思います。
 第四には、太鼓台の後継者の育成についてです。太鼓台を継承するのは地域の青少年であると、我々は考えておりますが、青少年は、お祭りをややもしますとイベントと考えがちなのです。しかし、飯積神社のお祭りは、御神輿(神様)を中心としたものであり、学校も休み、企業も休み、全員参加のお祭りなので、祭りに対する思想が他の地域とどうも違うのです。また、一部の人の中には、祭りだからということで、少しぐらいは羽目を外してもいいのではないかというような間違った考え方もあります。したがって、我々大人は、青少年の健全育成を考えに入れながら、太鼓台祭りの次世代を担う者をどのように育てていくかということを、考え直してみる必要があると思います。
 こういう課題について、我々運営委員会は検討をし、平和運行をやっていきたいと思っています。
 とにかく、10月17日の飯積神社のお祭りにきていただいて、太鼓台の寄せがきを見ていただければ、私が今までお話したことを御理解していただけるのではないかと思います。
 以上で、私の話を終わらせていただきます。ありがとうございました。