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わがふるさとと愛媛学Ⅲ ~平成 7年度 愛媛学セミナー集録~

◇渡航の概要

 大正2年5月20日に、当時の真穴村の真網代(まあじろ)という小さな入江を、15人の若者が15mぐらいの船「天神丸」で出航をいたします。それまでに家族にさえも何も言わない。20日に出て、瀬戸内海を通り、金比羅さんにお参りをして、そして紀伊水道を抜けて、伊豆半島から船は太平洋へ、さらにアメリカへ向けて横断します。そしてついに伊豆を離れてから58日目の8月13日、カリフォルニア州、ポイントアリナに着くわけです。
 その間に、もちろん太平洋ですから嵐はありますし、サメにも出会います。そしてその最中、一番しんどかったのが、何か大嵐に会って、竜を見たという出来事でした。竜というのは、どうも竜巻だったようですが、そういうことに出くわしながら、ポイントアリナヘ着きます。
 海岸に近づいたころに、外国船のレディ・スコット号という船に見つかるわけです。そして見つかって、通報されているのも知らずに、「天神丸」の乗組員は海岸壁をはい上がって丘に入るのです。でも探知されて3日間のうちに全員捕まってしまいます。
 それで北米新聞という日系人用の新聞があるのですが、その中で、当時コロンブスのアメリカ大陸発見よりも、より奇跡的な快挙であるというとらえ方をされました。つまり、国禁を犯しての密航にもかかわらず、称賛されるという新聞のとらえ方をされたわけです。 20日間の厳しい取り調べを受けたのですが、その取り調べ官が移民局の調書の中に、「法を犯したけれども、こういう大胆な行動に非常に感激した。」と記しているということが報道されまして、それで北米新聞が義援金を集めるようになるのです。
 違法行為者に対して義援金を集めるということに発展すると問題がありますので、アメリカ側は急きょ9月5日に日本へ送還するという事態になりました。チャイナタウン号という船で、わずか17日間の航海でもって日本へ強制送還されます。横浜でも調書を取られて、故郷へ帰って来たというわけです。
 真穴に、このような武勇伝が残っているのですが、密航という言葉、あるいはアメリカ渡航という言葉、特に密航という言葉については、国禁を犯したということで、この最近まで、ほとんど伏せられておりました。非常に口の固い状況の中で、こういう歴史が私どもの地区に流れていたというのが、事実でございます。
 そういうことも含めまして、私どもは、確かに国禁を犯した密航ではあるけれども、事実は事実として受けとめ、それよりもこのような先人の勇気ある行動をもっと素直に学んで、我々のこれからの、あるいは子供たちへのなにがしかのエネルギー、あるいは発奮のきっかけにでもなればということで起こしたのが、「北針研究会」の発足でございます。