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わがふるさとと愛媛学Ⅲ ~平成 7年度 愛媛学セミナー集録~

◇渡航の先駆者

 申し遅れましたが、この『アメリカの風が吹いた村』(村川庸子著)という本もございますが、こういうアメリカの風が吹いたのも、実はうちには先駆者がおりました。愛媛の渡航のパイオニアとされる、西井久八翁という方がその人です。この方の銅像が、今、八幡浜市のお四国山にございます。当時のシアトルに行った者のうち、この方に世話にならなかった者はいないと言われるほど、渡航者のお世話をした方でございます。
 その方が明治12年(1879年)にアメリカへ渡られまして、奥さんを迎えるために、明治22年に、八幡浜へ帰ってまいります。そしてその時に大変なお金を持ちかえって、学校建設に寄付をするなどの社会奉仕をいたしました。そしてまたアメリカへ帰る時に、近隣の若い者を連れていきました。その情報が八幡浜を中心とした三崎(みさき)半島から、三瓶(みかめ)周辺にかけまして、おそらくは流れたんだろうと思いますが、そのあと、アメリカへ行く人が続きます。
 それで明治22年から34、5年までは、けっこうアメリカへ正規に行けました。ところが明治41年(1908年)になりますと、アメリカの事情、あるいは日本の事情もありましたでしょうが、移民が制限されて、実質的には明治41年以降は行けなくなります。それでアメリカへ1回行った方は、だいたいこういう密航の、あるいはその他の正規の船の船員になるわけです。行きたくても渡航許可が降りないということで、密航となるわけです。
 こういう先人の、いわゆるアメリカへの風が強烈に吹き、今でもアメリカ在住者が多くおります。さらにあと我々が調べてみますと、いろいろなパターンがあるわけですが、強制送還された人たちだけでも、三崎から三瓶にかけての方で、三百数十名に上ります。これは捕まって強制送還された方の数で、密航が成功された方は、表に出て来ていません。そういう多数の方が、明治の末期から昭和14年(1939年)まで続きます。それで、こういう史実を私どもはもっと丁寧に拾い上げながら、さらにそこから我々の力にもしてまいりたいと思っております。