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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業21 ― 今治市① ― (令和3年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 農業と人々のくらし

 旧朝倉村は県中央部高縄半島の東部に位置し、北と東は今治市(旧市域)、西は旧玉川町、南は旧東予(とうよ)市(現西条(さいじょう)市)に接する。東・西・南の三方を300~800mの山地に囲まれた中山間盆地であるが、北部は今治平野に続いていて平坦である。中央部を頓田川が南北に流れ、支流と合わせて扇状地性の平野を形成している。
 明治22年(1889年)の町村制施行により、朝倉上村と朝倉上之村が合併して上朝倉村が、朝倉北村、朝倉下村、朝倉南村、古谷(こや)村、山口(やまぐち)村の5か村が合併して下朝倉村が成立した。その後長く2村のままであったが、昭和31年(1956年)に上朝倉村と下朝倉村が合併して朝倉村が誕生し、平成17年(2005年)に今治市となるまで存続した。
 産業は農業が中心で、主な農産物として米のほかキュウリを中心とする野菜類が挙げられる。旧朝倉村のキュウリ栽培は、葉タバコの後作として栽培された夏秋キュウリに始まる。夏秋キュウリは昭和41年(1966年)に国の産地指定を受け、従来の自給用栽培から急速に進展した。当時のキュウリの出荷先は京阪神市場で、今治市越智郡蔬菜(そさい)生産組合の手によって共同出荷された。キュウリ栽培はその後、生産者の高齢化や他の野菜栽培が盛んになるにつれて衰退した(図表2-1-2参照)。キュウリに代わって旧朝倉村の野菜栽培の主力になったのはイチゴで、昭和45年(1970年)ころからビニールハウスで栽培する施設野菜として導入された。
 本節では、旧朝倉村の野菜栽培を中心とする農業とくらしの様子について、Aさん(昭和7年生まれ)、Bさん(昭和7年生まれ)、Cさん(昭和11年生まれ)、Dさん(昭和11年生まれ)から話を聞いた。