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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業20 ― 大洲市② ― (令和3年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

2 葉タバコ栽培と人々のくらし

(1) 大谷の農業

 「私(Bさん)は昭和51年(1976年)に大谷で農業を始めましたが、私が農業を始める前の昭和40年代の後半に大谷の農業も大きな変化があったのではないかと思います。その当時、大谷で主となっていたのが養蚕だったと思います。昭和49年(1974年)の第2次農業構造改善事業では、造成によって大きな桑畑を作って、共同で蚕を飼育する蚕舎ができました。
 その当時は私の家でも子どものころから『お蚕さん』を育てていました。私の家では少し広い畑があり、その畑が桑畑から近かったので、そこで養蚕を行っていました。分厚いテントのようなもので蚕室を作って養蚕をしていたのです。それが昭和40年代にはだんだんと下火になって葉タバコ生産に替わっていきました。私の家でも、私が高校を卒業するころには、桑畑がなくなり、葉タバコ畑になっていました。大谷で本格的に葉タバコ栽培が始まったのは昭和46年(1971年)のころだと思います。
 養蚕は大規模に行う人だけが残って、小規模な農家は葉タバコ栽培に切り替えていきました。葉タバコ栽培を行わない人はシイタケ栽培などを行うようになっていきました。大谷での葉タバコ栽培の最盛期は昭和55年(1980年)ころです。大谷には葉タバコの共同乾燥場がありますが、そのころには34軒の農家が共同乾燥場を利用しており、なかなか希望どおりに利用することができなかったことを憶えています。
 しかし、葉タバコ栽培も最近は厳しい状況で、令和4年(2022年)から大洲市では生産者が私1人だけになります。現在JT(日本たばこ産業株式会社)がかなり在庫を抱えていて、10a当たり36万円の協力金を出して廃作を募集したのです。生産者は現在では愛媛県全体で35人ほどですが、令和4年からは8名になる予定です。
 米作りでも昭和40年代の後半に変化がありました。昭和30年代や昭和40年代にはもっと小さな水田が集まっていました。私が小学生のころには、水田に水が張っていない時期に、レンゲがたくさん生えている中で遊んで帰っていましたが、小さな棚田ばかりだったことを憶えています。今でも狭い水田のように感じるかもしれませんが、昔に比べると、基盤整備によって広い水田に変わっています。昭和40年代の後半に第2次農業構造改善事業が行われて、肱川町単独でも事業を行って基盤整備が行われて、トラクターなどの農業機械が使われるようになりました。
 昭和50年代ではまだ、バインダーで稲を刈って稲木で乾燥させていました。大谷でコンバインが使われ始めたのは昭和60年代に入ってからだと思います。私の父の世代は馬や牛で水田の鋤き起こしをしていましたが、私はもうトラクターやコンバインが入らない水田での米作りは考えられません。」

(2) 葉タバコ栽培 

 ア 植え付け

「私(Bさん)のところでは、葉タバコをちょうど100aの農地で生産しています。畑に植える苗の本数は決まっていて、2月10日ころにJTから送られた種を内子(うちこ)にある『親床』に蒔(ま)きます。2月の下旬に苗の間引きをして、3月3日ころに内子からこちらに持って帰って、ハウスの中の『子床』に仮植します。そのときに苗は一つのポットに1本ずつ植えます(写真2-1-12参照)。その苗の葉が7、8枚になったら、今度は『本圃』へ定植します。それが3月25日ころになります。
 苗を定植する本数は10a当たり2,070本と決められています。畑が100aあるので、全部で2万700本植えることになります。ですから、苗植えが始まると大変です。移植ごてを使って定植するのですが、妻がポットに入れてくれた苗を歩いて1本ずつ植えていきます。なかなか地味で大変な作業です。」

 イ 畝立て

 「3月の初旬に苗を仮植しますが、それまでには畑に定植する準備をしていないといけません。だいたい2月中には畝ができていないと仕事が間に合いません。畑をトラクターで整地をして、畝立てをしながら畝にマルチシートを同時にかけていく機械で畝立てをしていきます(写真2-1-13参照)。肥料もかなりの量が必要です。複合肥料を10a当たり200kgくらい与えます。私(Bさん)は、堆肥も40ℓの袋で50袋くらい与えます。
 私がタバコ栽培を始めたころとは、いろいろなことが大きく変わってきました。品種も変わりましたし、年々指導も変わっています。今はほとんどやっていませんが、昔は土寄せといって、株元に土を寄せたり、それから畝の間の土を寄せたりしていく作業をしていました。根元に土を寄せていくことを小根(こね)寄せ、畝の間の土を寄せていくことを大根(おおね)寄せと呼んでいたそうです。その作業を何度か行っていました。タバコはもともと乾いた場所を好むので、根元に水が溜(た)まらないように、できるだけ高い畝をつくってやる方が良いので、昔の人は大根寄せをしていたそうです。」

 ウ 収穫

 「タバコの葉は着位ごとに下から下葉・中葉・合葉・本葉・上葉・天葉と呼ばれます。3月の下旬ころから定植したタバコは、6月5日ころからまず一番下の下葉を刈って収穫します。もちろんまだ熟していないのですが、下葉はできるだけ早く刈りなさいと指導されています。そうすると上の葉が充実してくるようです。下葉を収穫する前後に心止めを行います。下葉を収穫してから心止めをする人もいますし、心止めが終わってから収穫を始める人もいます。心止めをしないと、タバコの葉も全部で20枚以上つき、花や多くの葉に栄養が行ってしまうので、葉を太らせるために、全部で18枚くらいの葉がつくように、花が咲くと花枝や上の方についている葉を切断して、心を止めるわけです。
 ただ、必ず18枚にしないといけないのではなく、初期生育が悪いなど、育て方が悪いと18枚にならないこともあります。心止めを行うときは、花が最初に咲いた後に、葉枝間の一番短い所を基準にして切るのが良いと私(Bさん)は習いました。しかし、葉の色を見て、分厚い黒っぽい色をしているものは樹勢が良いので余分に1枚葉をつけるために、基準となる所の上で切ることもありますし、葉の色が薄く肥料切れを起こしているような場合には、葉を少なくなるように基準となるところの下で切ることもあります。生育状況を見て、葉の数を調節します。徳島の人の話を聞くと、葉を22枚ほどつけているそうです。品種は同じはずなのですが、いろいろな育て方があるようです。18枚の葉のうちの、中葉系(下葉2枚、中葉4枚、合葉の下2枚)の収穫を2枚ずつ4回行います。葉の残りは10枚になるので、それからじっと我慢して待ち、7月25日くらいから、残りの葉を全て収穫します。これを総刈りや総かぎとも言い、7月25日ころから始めて8月10日ころまでかかります。この収穫のときは熟度が大切です。十分に熟していないと、良い値段では買ってくれません。見た目がきれいだと早すぎるので、熟して葉先が痛んでいるくらいの葉になるまでじっくりと待ちます。これも昔と大きく違うところで、かつてタバコを作っていた人から見ると、『熟しすぎではではないか。』と言うと思います。」

 エ 乾燥

 「収穫したタバコの葉は乾燥させなければなりませんが、昭和40年代にはまだ稲藁で編んだ縄でタバコの葉の一枚一枚を挟んで、土蔵の内部に吊(つ)り下げて乾燥させていました。土蔵の中に上の方まで6段くらいの吊り木に渡して吊っていました。私(Bさん)も子どものころに大人たちが竹竿(たけざお)のようなものを持って、両側から息を合わせて吊っているのを見たことを憶えています。中学校に入るくらいまではそのようにして乾燥させていました。その乾燥場では下に鉄のパイプを通していて、そこから熱を送り、その熱が室内に伝わって、じわりと室温が上がることで乾燥させていました。そのため、乾燥にもかなり時間がかかったのではないかと思います。しかも最初のころは灯油ではなく、薪をくべて(燃やして)乾燥させていました。薪は当番制で、山から薪を切ってくることになっており、それをくべていました。生産者の先輩が『あの人が持ってくる薪は生ばっかりだ。私はちゃんと燃えやすい木を持ってきているのに、あの人が当番のときにはいつも生で重たいし燃えにくい。』と話しているのを聞いたことがあります。それからだんだんと、燃料は薪から灯油に替わっていきました。また稲藁の縄にタバコの葉を挟んでいたのが、針金に葉を突き刺すようになり、針金を横から引っ張って乾燥機に吊るすようになっていきました。
 昭和50年(1975年)ころになると、各農家で密閉し、強制的に風を送るバルク乾燥機を持つようになりました。最初の方はそれぞれの農家が持っていたのですが、昭和56年(1981年)になると、大谷地区に共同乾燥場が作られました(写真2-1-15参照)。
 現在の大谷地区の共同乾燥場は作業委託をしていて、作業員を雇って仕事をしてもらっています。農家はタバコの葉を収穫して持って行きさえすれば、1週間後には、乾燥した葉を持って帰ればよいというようにしています。共同乾燥場ができたころは農家が全て自分たちでバインダーに挟んで乾燥機にかけるところまでしていたのですが、今はその作業を委託した作業員にやってもらうことにしています。
 共同乾燥場でバインダーを使っていた当時はタバコの葉を連という単位で数えていました。現在はラックという道具を使い、ラックを単位で数えています。便利クロスというものでタバコの生葉を包み、それで運んでくるのですが、1連はその1束でした。この10年ほどは、便利クロス2袋分で1ラックと数えるようになっています。技術が発達して乾燥機の送風力も強くなり、それまでと同じ大きさでも多くの量が入るようになったので、そうなっていったのだろうと思います。乾燥も随分簡単になりました。
 乾燥機では最高で68℃くらいの温風を送って乾燥させます。最初に収穫した下葉を乾燥させるのに120時間くらいかかります。本葉などの上の方の葉になると135時間くらいかかります。下葉と比べると、当然上の葉の方が大きく成長しているからです。葉の中骨(タバコの葉の葉脈)も大きいですし、葉肉も分厚くなるので脱水に時間がかかります。どうしても乾燥が不十分なものもあるので、中骨を最後に触って確認して火を止めます。中骨が乾燥していない状態で置いておくとカビが生える原因になります。そうなると、JTも買い取ってはくれません。
 それで終わりではありません。完全に乾燥した葉は触ると壊れてしまうので、ある程度は湿気を戻してやらないと、タバコの葉をラックから外せません。そのため、しばらく置いた後、朝早くか夕方遅くに4時間から5時間、機械を運転させて、外の湿気を入れてやります。そうすると、しんなりしてちょっと触った程度では壊れなくなります。しかし、しんなりしすぎると、乾燥が不十分なので再乾しなさいとJTから言われてしまいます。今まではJTから農家に送り返されて、再び農家で乾燥させて送るようになっていたのですが、今年(令和3年〔2021年〕)から向こうで乾燥して乾燥経費を請求されるようになりました。」

 オ 収納

 「以前はタバコの葉の等級がA・B・Cと三段階あり、さらにそれぞれタバコの葉の着位ごとに値段が違っていました。現在はA等級とB等級しかありません。私(Bさん)たちが作っている二黄という品種はA等級だと1kg当たり2,188円で、B等級は1,560円で買い取られます。金額が全く違うので、A等級の葉をたくさん収穫しなければ、厳しくなります。JTが見て、見た感じがきれいなものはまず駄目で、汚れているような色で、十分に熟していないとA等級では買い取ってくれません。タバコとしては中の方につく合葉と本葉がおそらく値打ちとしては良いのだと思いますが、現在はどの葉も値段は同じです。
 収納の日は決められていて、だいたい10月の初旬になるのですが、収納の日の2日ほど前に運送業者が農家まで直接取りに来てくれます。6月ころから下葉を収穫していますが、取りに来るのは1年で1回だけです。収納の日というのはJTが買い取る日ということになります。
 それまでに荷造りをしないといけないのですが、出荷の際は箱状になった布の中に乾燥させたタバコの葉を入れて、圧搾して梱包(こんぽう)します(写真2-1-16参照)。ただ、適当に入れてはいけません。タバコの葉の着位を同じものにして、しかもA、Bの等級ごとに詰めていきます。さらに元(葉の茎についている方)を外側にして、重ねて詰めて、機械で圧搾します。1袋は高さが50cm以内、重量が40kg以内と決められていますが、普通は32kgくらいで荷造りします。そのように荷造りしたものを運送業者が取りに来てくれて、高松(たかまつ)(香川県)まで運んでくれます。ただ、来年(令和4年〔2022年〕)からは熊本に送ることになるそうです。
 私は直接経験していませんが、鹿野川でも買い取っていたことがあるそうです。私が始めたころは内子で買い取りをしていました。大谷に34軒の葉タバコ農家がいて、共同乾燥場が最盛期だったころは内子で買い取りをしていました。
 運送業者に払う運賃は昔からJTが出してくれます。新型コロナウイルス感染症の影響で今は行っていませんが、買い入れの現場への立会経費も出してくれていました。立会ではJTの人が、目で見て、触ってAやBの等級を付けます。『ちょっと待ってくれ』と思うこともありますが、抗議してもまず通ることはないと思います。等級は目で見て触って決めるので、難しいところです。」

 カ 葉タバコ栽培の大変さ

 「私(Bさん)が葉タバコ栽培を行っている中で、一番きつい作業だと思うのは、最初の下葉の収穫です。上の方に葉がついている所を、狭い畝を歩きながら、腰をかがめて収穫しなければならないので、これは体にきつく、腰にきます。同じ収穫でも、総かぎになると上の葉の収穫ですから、立ったまま収穫できるのでそれほどでもありません。
 昔は芽かぎ(心止めの後に生えてくるわき芽の除去)が大変な作業でした。今は、コンタクトやイエローリボンなどの薬があって、芽の小さいうちにかけてやると、芽が枯れるので、そういうものを上手に使えばほとんど芽かぎはしなくて済むようになりました。ただしタイミングを逃すと、それら薬が効かないので、芽かぎが大変になります。
 葉タバコの害虫や病気にも気を遣います。アブラムシは一年中おり、タバコの葉に悪いので、寄せ付けないように消毒しなければなりません。かつてはタバコはうどんこ病に悩まされましたが、最近はうどんこ病にはほとんどかかりません。うどんこ病の心配はなくなっても、悩まされるのは立ち枯れ病、空洞病、灰色かび病などです。特に空洞病になると、乾燥経費も賄うことができないほどになるので、収穫しない方が良いくらいです。空洞病の原因は空気の中で風に乗って飛んでくる空洞菌だそうですが、立ち枯れ菌がある所にはだいたい空洞菌が出るという話もあります。そのためこの辺りでは立ち枯れ菌を抑えるために、クロールピクリンを冬に土壌の中に打ち込みます。
 ただ私はクロールピクリンを打つのが苦手なので、葉タバコを水田で作ることにしています(写真2-1-17参照)。水を溜めると立ち枯れ菌が死滅するからです。病気が出始めると、次の年はそこを水田にして米を栽培します。そうすると、病気が出ないので、うまくそのような循環をしながら葉タバコを作っています。
 葉タバコ栽培は大変なことも多いですが、葉タバコは野菜などのような市場で価格が決まるものと違って、契約栽培で価格は保証されています。そのため、等級の良いものをたくさん作りさえすればお金にはなります。来年以降も考えることはたくさんありますが、良いものを作れるようにしていきたいと思っています。」


参考文献
・ 平凡社『愛媛県の地名』1980
・ 肱川町『肱川町創立50周年記念誌』1993
・ 肱川町『新編肱川町誌』2003
・ 肱川町『風の軌跡 ひじかわ』2004













写真2-1-12 仮植用のポット

写真2-1-12 仮植用のポット

令和3年10月撮影

写真2-1-13 畝立て機

写真2-1-13 畝立て機

令和3年10月撮影

写真2-1-15 共同乾燥場

写真2-1-15 共同乾燥場

令和3年7月撮影

写真2-1-16 圧搾梱包機

写真2-1-16 圧搾梱包機

令和3年10月撮影

写真2-1-17 水田を利用した葉タバコ畑

写真2-1-17 水田を利用した葉タバコ畑

令和3年7月撮影