データベース『えひめの記憶』
伊予の遍路道(平成13年度)
第2節 三坂峠から石手寺への道<注>
<1>松山市教育委員会編著『おへんろさん-松山の遍路と民俗-』P116 1981
<2>真念『四国邊路道指南』(伊予史談会編『四国遍路記集』P99 1981)
<3>野沢象水『予陽塵芥集』(伊予史談会編『西海巡見志・予陽塵芥集』P136 1985)
<4>前出注<2>P99
<5>明月『明月餘稿 四』(伊予史談会編『南山紀行上』P14 1785)
<6>前出注<1>P121
<7>前出注<1>P127
<8>愛媛新聞社『旧街道』P113 1973
<9>松山市教育委員会編『俳句の里』P202 1981
<10>北川純一郎ほか編「一遍上人四方山話」(愛媛出版協会編『愛媛 第2巻第4号』P2 1962)
<11>伊藤義一「埋もれた土佐道」(伊予史談会編『伊予史談 207 ・ 208合併号』 P44 1973)
<12>山口恵一郎ほか編『日本図誌大系 四国』P210 1975
<13>寂本『四国徧礼霊場記』(伊予史談会編『四国遍路記集』P193 1981)
<14>愛媛県史編さん委員会編『愛媛県史 社会経済3 商工』P611 1986
<15>安達忠一『同行二人 四國遍路たより』P109 1934
<16>松山市教育委員会編『松山の道しるべ』P14 1999
<17>前出注<16>P18
<18>前出注<16>P19
<19>前出注<16>P20
<20>喜代吉榮徳「真念道標石小考」(『四国辺路研究 第11号』P37 1997)
<21>前出注<16>P82
<22>久谷村史編纂委員会編『久谷村史』P465 1967
<23>真念『四国徧礼功徳記』(伊予史談会編『四国遍路記集』P228 1981)
<24>前出注<2>P99
<25>愛媛県史編さん委員会編『愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)』P240 1984
<26>前出注<16>P82
<27>前出注<22>P465
<28>宮尾しげを『画と文 四國遍路』P125 1943
<29>前出注<2>P99
<30>四国道人編著「實測 四國巡拝道順案内」(『四國霊場案内 第二版』P19 1923)
<31>梅村武『へんろ道 四十六番浄瑠璃寺より四十九番浄土寺』P32 2000
<32>前出注<16>P28
<33>前出注<16>P83
<34>前出注<1>P136
<35>前出注<5>P2
<36>前出注<28>P126
<37>前出注<1>P142
<38>前出注<16>P84
<39>前出注<13>P194
<40>前出注<16>P33
<41>松浦武四郎『四國遍路道中雑誌』(吉田武三編『松浦武四郎紀行集(中)』 P279 1975)
<42>前出注<12>P215
<43>松山市史料編集委員会編『松山市史料集 第九巻』P314 ・ 316 1982
<44>前出注<9>P190
<45>近藤喜博『四国遍路』P140 1971
<46>新城常三『社寺参詣の社会経済史的研究』P1035 1982
<47>小野村史編纂実行委員会編『小野村史』P112~114 1960
<48>前出注<28>P130
<49>前出注<28>P130
<50>前出注<13>P195
<51>前出注<2>P100