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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業15-四国中央市①-(平成30年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

1 町並みをたどる

 (1) 新宮の商店街

ア 新宮で買いそろえる

 「当時、新宮にはいろいろなお店があったので、大抵のものは町(川之江、伊予三島)に行かなくても、新宮で買いそろえることができていました(写真1-2-2参照)。私(Bさん)は新瀬川から新立中学校へ通学していました。1年生の途中から自転車通学からバス通学に変わったのですが、朝、中学校へ登校する前に、『新宮で塩を買ってきて。』とか『切手を買ってきて。』などと、親や近所の方からお使いを頼まれていたことを憶えています。また、映画もバスに乗って町(都市部)まで行かなくても新宮鉱山で観(み)ることができ、私が中学生のときには、授業で観に行ったこともありました。当時は、中学生になるまで子どもたちだけで映画を観に行くことは禁止されていました。」

イ 付けで商品を購入

 「昭和40年(1965年)ころまで、新宮にたばこ収納所がありました(図表1-2-2の㋐参照)。農家の方は、葉タバコを納付したことで得るお金が1年間の収入だったので、お店で商品を購入するときは、買い物をするたびに帳面付の借金をして、葉タバコを納付した際に一括で代金を支払っていたことを私(Aさん)は憶えています。大きな買い物をするときは、バスで三島や川之江へ行く人が多かったのですが、嫁入り道具は、新居浜(にいはま)や香川県の観音寺(かんおんじ)まで行って購入していました。ただし、そのときは付けが利かなかったので、手元に現金を手に入れてからでなければ購入することができませんでした。」
 「当時、大抵のお店では付けで商品を買うことができて、盆と正月の節季にまとめて代金の支払いをしていました。今はお正月といえば1月1日ですが、そのころ、新宮ではまだ旧正月の行事が続けられていて、年が明けて2月に入ってからお店へ支払いに行っていたことを私(Bさん)は憶えています。」

ウ 複数あった旅館

 「昭和30年代、私(Bさん)が小学生のときに大相撲の巡業が新宮へ来たことがあり、熊野神社の境内で相撲をしていたことを憶えています。水月旅館は大きな旅館だったので、お相撲さんたちはそこに泊まっていたと思います(図表1-2-2の㋑参照)。当時、新宮にはほかにも旅館があり、うどん屋さんを兼ねていた旅館へ食べに行ったこともありました。」

 (2) 商店の記憶

ア たばこ収納所

 「私(Aさん)たちは、子どものころから、たばこ収納所のことを『専売所』と呼んでいました。戦後、新制中学校の校舎の用地がなかったため、熊野神社の境内に校舎があった時期があり、校舎が台風で倒壊したときには収納所で授業をしていたこともあったそうです。」
 「当時、こちらに専売所があり、12月の納付の時期になると新宮村の方々から農家の方が葉タバコを持ってきていました。その時期には、近所に臨時のお店が出ていて、傘の直しを行ったり、衣料品を売ったりしていました(図表1-2-2の㋒参照)。また、専売所の入り口の辺りでは大判焼きが売られていて、とても賑(にぎ)やかだったことを私(Bさん)は憶えています。」

イ 大野店

 「大野店(みせ)(図表1-2-2の㋓、写真1-2-3参照)に行くと、デパートにないものでもあったというくらい、非常に珍しいものも売っていたことを私(Aさん)は憶えています。牛に付ける鼻輪も売っていましたし、チロリという、お酒を入れて囲炉裏の灰へ挿しておくと、自然にお燗(かん)ができる器も売っていました。そのほかに衣料品なども売っており、文字通り雑貨商でした。」
 「大野さんのお店はお酒から塩まで何でも売っていましたし、ガスや新聞も扱っていました。お店の方が新聞を受け取ると、それを郵便局まで持って行き、郵便局で振り分けられていたことを、私(Bさん)は憶えています」。

ウ 多くあった商店

 「藤川商店の所には、古い時代には造り酒屋さんがあったと私(Aさん)は聞いています(図図表1-2-2 昭和40年ころの新宮の町並み表1-2-2の㋔、写真1-2-4参照)。その正面の川沿い辺りは、ほとんどが造り酒屋の倉庫群だったそうです。今から80年くらい前、昭和10年代前半くらいに、藤川商店の方が移られてきました。藤川商店では、最初のころは駄菓子などを売っていましたが、昭和40年(1965年)ころには食料品も扱うようになっていました。また、菅原商店にも多くのお客さんが買い物に来ていました(図表1-2-2の㋕、写真1-2-5参照)。そこではお酒も販売していたので、多くの人が集まっていたのだと思います。」
 「私(Bさん)が中学生のとき、普段はお弁当を持って学校へ行っていましたが、土曜日は半日だったので持って行っていませんでした。そこで前日の金曜日には、友人と『明日のお弁当、どうする。』とか『お小遣いはある、ない。』という話をして、毎週は無理でしたが、藤川商店でお小遣いの中からコッペパンを買って食べるのを楽しみにしていたことを憶えています。
 山地商店はタバコ屋さんですが、駄菓子のくじも扱っていて、私はお小遣いを持って、くじを引きにお店へ行っていました(図表1-2-2の㋖、写真1-2-5参照)。そのほか、年配の男性が経営していた自転車店があり、店には自転車のほかにお菓子などが置かれていて、そうした品を男性の奥さんが販売していたことを憶えています(図表1-2-2の㋗参照)。」

エ あたらしや

 「昔、あたらしやさんの所には旅館があり、昭和40年(1965年)ころには、おばあさんが細々と営業を続けていたことを私(Aさん)は憶えています(図表1-2-2の㋘、写真1-2-6参照)。当時もガソリンスタンドを主体としていましたが、おばあさんが離れで旅館を営んでいて、どうしても宿泊したいという人だけを泊めていました。また、旅館をやめた後もすぐに現在のようにガソリンスタンドだけを行っていたわけではなく、いろいろなお店に変わっていました。」
 「私(Bさん)が小学生のころ、あたらしやさんの所でアイスクリームも売られていたことを憶えています。あたらしやさんは、以前の所有者の方が土居(どい)に行かれたので、現在の所有者の方が土地ごと権利を購入されました。その後、電気工事の取り扱いも行うようになり、四国電力のメーターの検針も行っていました。また、今のように口座振替が行われていなかった時代には電気料金の集金も行っていて、地区ごとに集金の仕事を行う人が何人かいたと思います。」

オ 駐在所

 「お巡りさんが非番になると、地域の方が駐在所へ行って一緒にお酒を飲んだり、花札をしたりしたこともあったと私(Bさん)は聞いています(図表1-2-2の㋙参照)。私たちも、駐在所が移った後、非番のときに遊びに行って、花札をしたこともありました。お巡りさんは面白い人も多く、非番のときには地域の人と家族でイノシシを捕るなどの交流をしていたと聞いています。」


写真1-2-3 大野店

写真1-2-3 大野店

平成30年6月撮影

図表1-2-2 昭和40年ころの新宮の町並み

図表1-2-2 昭和40年ころの新宮の町並み

地域の方々からの聞き取りにより作成。民家は表示していない。

写真1-2-4 藤川商店

写真1-2-4 藤川商店

平成30年6月撮影

写真1-2-5 菅原商店(右)と山地商店(左)

写真1-2-5 菅原商店(右)と山地商店(左)

平成30年6月撮影。昭和40年ころの店の位置とは変わっている。

写真1-2-6 あたらしや

写真1-2-6 あたらしや

平成30年6月撮影