データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

宇和島市

遠山矩道(1840~1888)

 天保11年~明治21年(1840~1888)蚕糸業功労者。天保11年7月13日吉田藩士の家に生まれ、蚕糸業の振興に働いた先駆者である。明治4年廃藩置県により、旧藩士の授産に努め、明治10年士族家禄奉還金を集めて「楽終会社」という、金融機関を設立した(後の吉田商業銀行)。明治13年「興業社」を設立し、養蚕教師を招いて蚕桑の指導奨励をする。また同14年には製糸工場を建て広島製糸伝習所の工女を迎え、製糸の工女を養成し、南予の産繭を生糸にし、京都その他に販路を広め品質の好評を得た。また、佐賀県から桑苗「九紋竜」、福島県から「赤熟」を導入した。明治16年5月農商務省の蚕糸諮開会に出席し、その見聞事項を印刷し、同業者に配布して斯業の発展に資した。工女を率いて大分県の製糸法を見学させたこともある。明治17年には、「経済維持」と題する冊子を印刷して、栽桑養蚕の普及発展の必要性を力説した。同18年東京上野で開催された五品共進会で繭糸部門の審査会補助員となり、諸先輩の意見を収録し「東京土産」と題して海南新聞等に連載して蚕糸業者の参考に供した。私財を投じて、蚕糸業界発展のため人々の啓蒙に大きな活躍をした。明治21年1月18日、47歳で死去、立間の大乗禅寺に葬られる。なお、明治27年7月、同32年10月県知事から追賞され、同43年6月第9回関西府県連合共進会で農商務大臣から追賞された。町民会館の傍らにある遠山氏の記念碑は、この地方の蚕糸業が最盛期を迎えようとした大正6年、県会議員清家吉次郎の唱道によって、「遠山矩道翁記念碑」が建てられたものである。(『愛媛県史 人物』より)

①遠山矩道君記念碑

①遠山矩道君記念碑

宇和島市吉田町鶴間(吉田公園内)

②遠山矩道君記念碑横の説明板

②遠山矩道君記念碑横の説明板

宇和島市吉田町鶴間(吉田公園内)