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宇和島市

山下亀三郎(1867~1944)

 実業家。財界人。宇和郡喜佐方村(現、宇和島市吉田町)出身。18歳で上京し、明治法律学校(現、明治大学)に入るが1年余りで中退、日本橋の紙店で奉公の後、横浜の竹内商会石炭部に入り、明治30(1897)年、同商会を継承して独立し、横浜石炭商会を設立した。明治36(1903)年、英国から船を購入して海運業に進出、日露戦争の御用船徴用で海運業者としての基礎を築いた。その後、株の大暴落や北海道の木材事業の失敗など倒産の危機があったが、亀三郎は不屈の精神で乗り越え、明治44(1911)年に山下汽船合名会社を設立し、第一次世界大戦後には世界各地に支店を置く業界トップクラスの会社に発展させて「海運王」と呼ばれた。
 亀三郎は、「自分が少しでも国家の役に立てる人間になれたのは母のおかげである」として人材育成、特に女性の教育に力を注ぎ、山下実科高等女学校(現、県立吉田高等学校)や第二山下実科高等女学校(現、県立三瓶高等学校)を設立した。また、故郷の小学校や図書館への寄付や道路やトンネル、運河の建設など公共事業にも尽力した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

①山下亀三郎像

①山下亀三郎像

宇和島市吉田町裡町19(横掘公園内)

②山下亀三郎像横の説明碑

②山下亀三郎像横の説明碑

宇和島市吉田町裡町19(横掘公園内)

③山下高等女学校跡地の碑

③山下高等女学校跡地の碑

宇和島市吉田町北小路甲10(県立吉田高等学校内)

④喜佐方トンネル頌徳碑

④喜佐方トンネル頌徳碑

宇和島市吉田町沖村(喜佐方トンネル付近)

⑤吉田町白浦外防波堤

⑤吉田町白浦外防波堤

宇和島市吉田町白浦外

⑥山下橋

⑥山下橋

宇和島市吉田町河内

⑦奥南運河

⑦奥南運河

宇和島市吉田町奥浦