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宇和島市

穂積八束(1860~1912)

 憲法学者。宇和島城下(現、宇和島市)出身。東京大学文学部政治学科卒業の翌年からドイツに留学し、ベルリン大学などで国法学を学んだ。帰国後、八束は、東京帝国大学教授となり、憲法学や国法学、行政学の講座を担当するとともに、枢密院書記官、法典調査会査定委員、貴族院議員、宮中顧問官などを歴任した。また、大日本帝国憲法の解釈と普及に力を尽くすとともに、憲法に附属する法典の原案を作成し、各種法典の編集にも尽力した。
 八束の学説は、天皇の主権は絶対であると説く憲法理論、また、天皇は民族の家長であるとする家族国家論などからなり、その説は当時、国民の教育をする上で最も正しい学説とされた。これらの学説の立場から、明治22(1889)年、日本政府がフランスから招いていた法学者ボアソナードが考えた民法の原案が示されると「民法出テゝ忠孝亡フ」の論文を発表し、民法施行断行派と民法典論争をした。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

①生家跡

①生家跡

宇和島市京町2

②生家長屋門

②生家長屋門

宇和島市丸之内1丁目(宇和島城藤兵衛丸跡)