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西予市

山内庄五郎(1835~1914)

 奇人。天保6年12月23日、伊賀上村(現西予市宇和町)で藤蔵善美の長男として生まれる。母が土佐藩士族の娘であったせいか、幼少のころからきびしいしつけを受ける。当時は農家で庄五郎も20歳を過ぎるころまでは農業に専念したが、いたってがんこな生格で、酒を好み、腕力は人一倍強く、大酒をのむと木剣を振り回しあばれたが、母にはきき腕とられ気合もろとも投げとばされ、母には一度も勝つことはできなかったという。農業のかたわら木材の搬出、石灰石の運搬もしたが、その材積の計算ができなかった。そこでなんとか、すみやかに計算する方法はないかと考えていたが、ふとした動機から算盤を研究するようになり、2年後、四則、開平、開立、球積にいたるまですべて算盤で解決するように至った。明治5年、弟に家督をゆずり、算盤ひとつを持って全国漫遊の旅に出る。おもに東京で算盤を教えたという。商店主、小僧、番頭、官吏とさまざまの人が教えをうけた。その数、数千人にも達しその名簿と著書『算術物体細解』が今も宇和町小学校に保存されている。庄五郎は奇人といわれただけに金銭にもてん淡で、金を残さず、大正元年78歳で帰郷した時には無一文であり、好きな酒に老いの身の寂しさをまぎらわせる明け暮れであったという。数理に一生をささげ無名の人で生涯を終る。時に大正3年1月3日、78歳で死去。(『愛媛県史 人物』より)

①山内庄五郎頌徳碑

①山内庄五郎頌徳碑

西予市宇和町伊賀上(神明神社鳥居付近)

②神明神社鳥居と碑

②神明神社鳥居と碑

西予市宇和町伊賀上