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西予市

徳田 実

 大正3年10月、旧土居村役場で収入役を務め、文筆に堪能で近在に知られていた徳田怜氏は、長子の誕生を見る。この子供が将来親の後をついで二代に亘って郷土誌『城川町誌』を手がけた徳田実に成長する。昭和12年、現在の韓国の首都ソウルに開校されていた京城高等商業学校に進み当校卒業後朝鮮放送協会に入社し、アナウンサーとして勤めた。昭和18年戦雲にただよう中、現地で軍隊に応召となり、二年余りで終戦を迎える。
 帰郷して土居で商店を経営していたが、昭和30年にはその明敏な頭脳を買われ社会教育主事として土居公民館に勤務することになる。以後社会教育の第一線での活躍は目ざましく、公民館活動の生みの親的存在で地域住民の信望を得る。体育指導員、同和教育推進委員、土居公民館長と地域の要職を歴任するかたわら郷土誌、新町誌の編纂にも力を尽くした。土居公民館前庭には、徳田怜・実父子の郷土史(誌)刊行の努力に対しシ頌功の碑を地区民が建立している。平成5年、80歳で没する。(『城川町誌 続編』から)


【徳田父子彰功碑】
 郷土の人文地理を明らかにし、永く後世に愛郷精神を伝えるため郷土誌の刊行は、かねてより住民の待望するところでありましたが、故徳田怜氏の多年にわたる労作と、是を受け継ぎ集大成された実氏の努力により今回その実現を見るに至りました。
 徳田父子二代にわたる功績はまことに大であります。依て茲に碑を建て功を彰します。
 昭和51年8月
          土居郷土誌

徳田父子彰功碑

徳田父子彰功碑

西予市城川町土居1292-1(土居公民館敷地内)