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西予市

森川智徳(1870~1924)

 明治3年~大正13年(1870~1924)上宇和村長。宇和平野の耕地整理を進めた。明治3年7月21日、宇和郡永長村(現東宇和郡宇和町)で山伏の家に生まれた。 35年1月衆望を担って28歳で上宇和村長に就任、39年1月まで在任して、宇和平野の耕地整理に取り組んだ。明治末期の耕地整理は大半を人力に頼る末知の事業であったが、私費で鹿児島など先進地を視察、県の補助を頼りに村民を説得して永長の一部をモデル整理して収穫倍増・裏作可能の実績をあげた。以来近隣地区もこぞって耕地整理に踏み切り、三好春治らに受け継がれて2次にわたる耕地整理事業が実施され、1,000町歩に及ぶ広大な宇和の穀倉地帯が出現した。のち修行して山伏になり、大正13年10月1日54歳で没した。三好春治とともに郷里の若宮神社境内に頌徳碑が建てられた。(『愛媛県史 人物』より)

①森川智德翁頌徳碑Ⅰ

①森川智德翁頌徳碑Ⅰ

西予市宇和町永長(若宮神社境内)

②森川智德翁頌徳碑Ⅱ

②森川智德翁頌徳碑Ⅱ

西予市宇和町永長(若宮神社境内)