データベース『えひめの記憶』
西予市
渡辺愛子(1870〜1935)
渡辺愛子女史は、明治3年(1870)2月29日、貝吹村大字中通川の福井金治郎の長女に生まれる。
人となり孝行の心篤くて思いやりは深く、賢明にして決断力に富んでいた。
明治23年、渡辺馬太郎に嫁いで、
夫婦相和し、明治24年に長男出産し、進と命名して歓びの情いよいよ深かった。
明治28年(1895)、馬太郎急病にてにわかに他界する。後に残りし家族は寒空に綿入れを脱がされる思いで、はた目にも可愛想であった。
明治29年(1896)、期する所あって大阪に居を移して産婆術を修得する。
翌30年、志を立てて航海万里オーストラリアに移住した。
産婆業に専念し苦心の末財を積み大正7年(1918)に故郷に錦をかざる。
昭和4年(1929)に中通川公会堂および西岸寺開山堂の工事にそれぞれ2,000円を、貝吹尋常小学校御真影奉安殿建築費400円を寄付する。
その他、日本赤十字社、愛国婦人会をはじめ公共に浄財の寄付は数知れず、その功による受賞も多くある。
昭和10年(1935)7月に特別寄付50,000円を本村更生基金として自治の基礎を作って100年の大計を立て、官民一同その恩恵に浴する。
昭和10年12月1日、病のため逝去、享年66で会った。
その概要を記し、その功を称するものなり。
その善行は悠久に伝えられることを望む。
貝吹村長 大 森 百太郎
【『野村町誌』より、渡辺愛子刀自頌徳碑 碑文】