データベース『えひめの記憶』
八幡浜市
初代 朝汐太郎(1864~1920)
大相撲大関。宇和郡八幡浜浦(現、八幡浜市)出身。本名は増原太郎。最初、大阪相撲の押尾川部屋に入ったが、その後、東京相撲の高砂部屋に入門して「朝汐」を名乗った。得意技は右四つ、寄り、上手投げで、明治26(1893)年に関脇になり、その5年後には、大関に昇進した。この時、かつて宇和島藩主であった伊達家から化粧まわしが贈られている。幕内での取り組みは、138勝76敗31分け12預り。引退後、年寄「佐野山」を襲名。「朝汐」もしくは「朝潮」の名は、代々高砂部屋のシンボルとなった。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
①28代木村庄之助書の石碑 八幡浜市1526(朝汐橋公園:フジグラン北浜の東約100m) |
②石碑裏のレリーフ 八幡浜市1526(朝汐橋公園:フジグラン北浜の東約100m) |
③朝汐橋の欄干 八幡浜市1526(朝汐橋公園:フジグラン北浜の東約100m) |
④朝汐橋跡の公園 八幡浜市1526(朝汐橋公園:フジグラン北浜の東約100m) |