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大洲市

苦厭上人(1608~1688)

 浄蓮社欣誉(ごんよ)上人苦厭大和尚は豊臣秀頼の第二子で国松丸という。長じて出家し、江戸増上寺に念仏浄業の修行を積み、学徳兼備の名僧となった。その後も諸国を行脚して念仏を弘め、人々その徳風に帰依した。各地に一寺を建立し、伊予では郡中の栄養寺(浄土宗)を開山し、大洲に錫を止めて寿永寺第26代の住職となった。
 寿永寺本堂東脇に立つ古碑の一つに「帰命無量寿覚」と中央に刻まれ、その周辺には小さな文字が多く削られているが、現在判読できないまでに風化している。寺伝ではこれが苦厭上人の碑と伝えられている。(『大洲市碑録 第一集』より)


①苦厭上人碑

①苦厭上人碑

大洲市西大洲甲2427

②浄土宗・大乗山寿永寺の歴史

②浄土宗・大乗山寿永寺の歴史

大洲市西大洲甲2427