データベース『えひめの記憶』
大洲市
三瀬諸淵(1839~1877)
蘭学者。大洲城下(現、大洲市)出身。本名は周三。5歳で百人一首を全部覚えるなど、幼い時から才能を発揮していた諸淵は、安政2(1855)年、卯之町(現、西予市)で叔父の二宮敬作から医学を学び、同年、宇和島藩の医師となった二宮敬作とともに宇和島に移り、村田蔵六(大村益次郎)から蘭学を学んだ。また、安政5(1858)年、電信機械を長崎から持ち帰り、大洲の肱川の河原で「三瀬諸淵の針金だより」と称される電信実験に、わが国で初めて成功した。
その後、長崎に赴き、安政6(1859)年、再来日していたシーボルトの弟子となり、ともに江戸に出てからは通訳を務め、帰郷後の慶応2(1866)年にはシーボルトの孫の高子と結婚した。
明治時代になると、医学校や病院の設立を進めるなど、わが国の医学界の進歩に力を尽くしたが、明治10(1877)年、病のために39歳の若さで逝去した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【追記】
三瀬諸淵墓所:大禅師(大洲市西大洲、県立大洲高等学校付近)
①生家跡付近 大洲市大洲522 |
②生家跡の碑 大洲市大洲522 |
③大禅寺にある頌徳碑 大洲市西大洲2462(大洲高校近く) |
④古学堂址 大洲市阿蔵甲1843-1 |
⑤電信の黎明碑 大洲市阿蔵甲1843-1 |