データベース『えひめの記憶』
松前町
武知 五友(1816~1893)
漢学者。文化13年4月1日、松山藩士武知矩方(朴斎)の子として生まれる。名は方獲。字は伯慮。幼名を清太郎、号は五友、愛山、清風などと称した。幼時より学問が好きで近藤逸翁について学び、長じて日下伯巌に師事し、藩校明教館に入る。天保10年江戸に上って昌平黌に入り、天保13年帰藩して大小姓となり、明教館で程朱を講ずる。維新後は職を辞し、明治5年上高柳村、更に三津、明治15年には郡中に私塾を開き子弟の教育に当たる。当時教えを乞う者は150人に及んだ。五友は正岡子規の師でもある。人となりは簡直で気骨があり、うわべを飾らず、洋風を好まず、流行を追わなかった。博学で、詩文・和歌・書画にも堪能で遺墨も多い。明治26年1月3日、76歳で死去。墓は伊予市栄養寺にある。(『愛媛県史 人物』より)
①五松庵跡碑Ⅰ 伊予郡松前町上高柳(上高柳集会所南) |
②五松庵跡碑Ⅱ 伊予郡松前町上高柳(上高柳集会所南) |
③郡中巷衢創業原誌碑Ⅰ 伊豫市灘町(五色濱神社付近) |
④郡中巷衢創業原誌碑Ⅱ 伊豫市灘町(五色濱神社付近) |
⑤武知五友筆社号石(三島神社) 伊予郡砥部町麻生(県道23号沿い、砥部病院そば) |
⑥三島神社の注連石 伊予郡砥部町麻生(県道23号沿い、砥部病院そば) |