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松前町

作兵衛(1688~1732)

 篤農家。伊予郡筒井村(現、松前町)出身。「義農作兵衛」の呼び名でよく知られている。享保の大飢饉の際、種子の大切さを思い、麦種を食用とせず、麦袋を枕として、「私は餓死してもこの麦種によって、多数の生命を救うことができる」といって息をひきとった。その後、その麦種は村人によって大切にまかれた。人々からは、義農として追慕され、その功績は現在も語り継がれている。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【高浜虚子の句碑】
 義農名は 作兵衛と申し 國の秋

【正岡子規の句碑】
 大寺の 可まどは冷えて きりゝす

【柳原極堂の句碑】
 吹可れ来て 鴉の下里し 野分哉

①義農神社の作兵衛像

①義農神社の作兵衛像

伊予郡松前町筒井1326(松前保育所横)

②作兵衛の墓

②作兵衛の墓

伊予郡松前町筒井1326(松前保育所横)

③作兵衛の頌徳碑

③作兵衛の頌徳碑

伊予郡松前町筒井1326(松前保育所横)

④高浜虚子の句碑

④高浜虚子の句碑

伊予郡松前町筒井1326(松前保育所横)

⑤正岡子規の句碑

⑤正岡子規の句碑

伊予郡松前町筒井1326(松前保育所横)

⑥柳原極堂の句碑

⑥柳原極堂の句碑

伊予郡松前町筒井1326(松前保育所横)

⑦史跡 義農作兵衛終焉の地碑

⑦史跡 義農作兵衛終焉の地碑

伊予郡松前町筒井(旧大洲街道沿い)