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砥部町

相田梅太良(1884~1963)

 原町村長、県会議員・議長、民政党支部長。明治17年3月10日、下浮穴郡麻生村(現伊予郡砥部町)で木蝋製造業の家に生まれた。東京専門学校(現早稲田大学)に進んだが、家事のため退学し祖父の業を継ぎ、酒造業も経営した。村会議員・郡会議員を経て大正4年県会議員になり1期務めた後、昭和2年から4期連続21年12月まで県会に在った。その間、9年12月~10年9月、12年12月~13年12月、14年10月~17年12月と三度県会議長の重責を担い、温厚篤実な議会運営は定評があった。憲政会一民政党に所属、戦時中は民政党支部長として武知勇記らを支えた。7年愛媛新報社専務取締役・社長になり、9年伊予果物同業組合長、2年3月~10年9月と15年12月~20年11月原町村長、19年県森林組合連合会長として、地域行政と産業振興に精魂を傾けた。昭和38年1月10日78歳で没した。のち砥部町原町支所前に頌徳碑が建てられた。(『愛媛県史 人物』より)

①相田梅太良翁頌徳碑Ⅰ

①相田梅太良翁頌徳碑Ⅰ

伊予郡砥部町原町(原町郵便局付近)

②相田梅太良翁頌徳碑Ⅱ

②相田梅太良翁頌徳碑Ⅱ

伊予郡砥部町原町(原町郵便局付近)