データベース『えひめの記憶』
砥部町
坂村真民(1909~2006)
仏教詩人。明治42(1909)年、熊本県玉名郡府本村(現、荒尾市)で生まれる。本名は昴。8歳の時に父親が急逝し、大変貧しい生活の中、母を支える。熊本県立玉名中学校(現、熊本県立玉名高等学校)を経て、三重県伊勢市にある神宮皇學館(現、皇學館大学)に進み、ここで自己表現の手段として短歌を始めた。
皇學館を卒業後は教師の道へと進み、昭和9(1934)年、朝鮮半島に渡って女学校や師範学校で教鞭をとる傍ら、創作活動に打ち込んだ。終戦後、家族とともに帰国、愛媛県に移住して高校の国語教師となった。この頃、真民は「真実の自己とは何か」という深い悩みに直面して自分の心を短歌の31文字に留めることができなくなり、41歳のときに短歌と決別、詩誌『ペルソナ』を発刊して詩の世界へ入った。また、時宗の宗祖・一遍を敬愛し、その信仰心から53歳以降42年間にわたり、一遍の念仏札を配る賦算に準(なぞら)えて、個人誌誌『誌国』を千数百人に毎月無償配布した。真民の紡ぐ詩はとても解りやすく、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与えるもので、様々な立場の国の人々に愛された。特に代表作「念ずれば花ひらく」は多くの人々の共感を呼び、その詩碑は海外も含めて700基以上建てられている。仏教伝道文化賞、愛媛県功労賞、熊本県近代文化功労者賞など受賞多数。平成18(2006)年、97歳で砥部町にて永眠した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【追記】
坂村真民墓所:宝厳寺(松山市道後湯月町)
※ 一遍の生誕地として知られている。