データベース『えひめの記憶』
砥部町
梅野鶴市(1890~1969)
明治23年~昭和44年(1890~1969)砥部焼の陶業家・砥部町長。明治23年11月23日,下浮穴郡砥部村大南(現伊予郡砥部町)で山本秀五郎の三男に生まれた。 21歳のとき製陶業梅野家の女婿となり,陶磁器製造・販売に精励した。昭和9年伊予陶磁工業組合初代理事長に就任,組合の共同設備の推進,近代的坏土工場と電磁器・化学磁器製造工場の完成,陶石山採掘設備の新設,釉薬・石膏型工場の設置など砥部焼発展の基礎を築いた。昭和18年砥部町長に就任,21年11月まで戦中・終戦直後の困難な時期の町政を担当した。昭和30年4月原町村との合併による新生砥部町の初代町長に選任され, 36年3月まで町発展のため政治手腕を発揮した。 31年藍綬褒章,33年愛媛新聞賞,41年勲五等双光旭日章など数々の賞を受けた。昭和44年4月8日78歳で没し,陶祖の丘に銅像が建てられた。(『愛媛県史 人物』より)