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松山市

森一生(1911~1989)

 映画監督。松山市出身。映画との最初の出会いは、商店を営んでいた父親の土産だった映写機と8ミリフィルム。その後、今治へ移り、今治中学校(現、県立今治西高等学校)へ転向、この頃観た「雄呂血(おろち)」という作品に魅せられ、映画の虜となった。
 京都帝国大学(現、京都大学)を卒業後、昭和8(1933)年、日活太秦撮影所に入社して脚本研究生となり、また、映画監督・伊東大輔の下で記録係を務め、後に専属の助監督として映画撮影を手助けし、愛弟子として目を掛けられた。日活から第一映画社を経て、新興キネマへ移籍し、昭和11(1936)年、「仇討膝栗毛(あだうちひざくりげ)」で監督デビューし、新人離れした切れ味のいい演出で、絶賛を受けた。
 昭和17(1942)年、中国へ出征、終戦後は大映京都撮影所に復帰し、時代劇、現代劇、喜劇、悲劇、アクション、ミステリーなどジャンルに囚われず、「薄桜記」「朱雀門」「敵中横断三百里」「大魔神逆襲」など数多くの素晴らしい作品を世に送り出し、終戦後の映画黄金期を支えた。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)