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松山市

伊丹万作(1900~1946)

 映画監督。松山市湊町出身。本名は池内義豊。松山中学校(現、県立松山東高等学校)在学中、学生の間で愛読されていた雑誌『楽天』の同人となり、後の映画監督の伊藤大輔や俳人の中村草田男らと交遊を深めた。卒業後、叔父を頼って上京し、初めは画家を目指して洋画を勉強しながら挿絵などを描いていた。しかし次第に生活が苦しくなり、親友の伊藤大輔を頼って京都に行き、大輔の勧めでシナリオを書き始めた。
 昭和3(1928)年、片岡千恵藏プロダクションに助監督兼脚本家として入社。そして同年6月、『天下太平記』で脚本を担当した後、同年11月、自身がシナリオを手掛けた『仇討流転』で監督としてデビューした。その後、約10年間で22本の映画を撮ったが、その全てが万作自身の脚本によるもので、代表作としては、風刺が鋭く効いた傑作喜劇『国土無双』や、志賀直哉の短編を脚色・演出した作品『赤西蠣太(あかにしかきた)』などがる。
 万作の演出には、その当時の時代劇には無かった柔軟で独創的な風刺が込められており、映画界随一の「知性派」として大監督の一人に数えられた。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
 伊丹万作墓所:理正院(伊予郡砥部町麻生、「池内家墓地」)

①伊丹十三記念館

①伊丹十三記念館

松山市東石井1-6-10