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松山市

小川尚義(1869~1947)

 教育者。台湾語研究者。松山城下の一番町(現、松山市)出身。帝国大学文科大学博言科(現、東京大学)卒業後、恩師で日本の言語学の生みの親である上田万年に勧められ、当時、台湾を治めていた日本の総督府に勤務した。
 台湾に着任後、早速台湾語の辞書編纂に携わり、『日台大辞典』、『台日大辞典』といった一連の辞書を完成させた。台湾語の研究は、それまでほとんど進んでいなかったため、尚義らによるこれらの辞書編纂は、初の本格的な研究となった。
 また、台湾語の研究だけではなく、台湾での日本語教育の普及にも力を尽くした。昭和3(1928)年の台北帝国大学(現、台湾大学)の設立とともに文政学部の教員として赴任し、後に教授となった。その後も台湾語の研究に励み、台湾に住む先住民の言語の研究を開始した。そして、昭和10(1935)年、『原語による台湾高砂族伝説集』を発表し、翌年、その功により帝国学士院(現、日本学士院)より恩賜賞を授与された。
 一方、趣味で能楽を楽しみ、同郷の宝生弥一、川崎九淵らと交流があった。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)